2009-01-01から1年間の記事一覧

清順『陽炎座』

清順の『陽炎座』のラスト、表と裏、生と死、夢と現実の境界上で、幽霊たちによって演じられる操り人形的舞台。そこに出現する幽霊とは、また顔のない子供たちであること。≪Es spukt.≫(「それが亡霊する」、「それが出幻する」)の自動機械性、デリダによれ…

Rudolf Thome

11月17日にUPLINK FACTORYで『島の探求』が上映されるルドルフ・トーメは、11月14日に70才の誕生日を迎えます。「なるとは思ってもみなかったこの高齢に奇妙な驚きとともに達し、いま私は自分を壊れたホログラムのように感じている。」という先日亡くなった…

古典主義

「アリストファネスの笑いは、ラブレーの笑いと異なり、それが猛烈な哄笑にまで高まったときにおいても、悲劇の場合と同様に、つねに厳密に悲劇の法則にしたがって表現されている。」(花田清輝『復興期の精神』)

『ジェーンへの手紙』

ゴダール/ゴランの『ジェーンへの手紙』は、ベトナム戦争時のメディアに掲載されたベトコンと対話するジェーン・フォンダの一枚の写真をめぐって、ゴダールとゴランが交互に様々な解釈、コメント、考察を英語ナレーションで語ってゆく聴覚的映画です。写真の…

オン・ザ・ロード

『死者たち(ロス・ムエルトス)』で注目されたアルゼンチンのリザンドロ・アロンソの『リヴァプール』(2007)は、巨大コンテナ船の船員の航海中の作業と日常の記録から始まり、そのクルーの一人である主人公が、おそらく南極近くであろう雪に蔽われた極寒…

コロンブス

ユートピアが、時間と絶縁した抽象的空間にすぎないかぎり、時間からのユートピア的脱出の試みは挫折せざるをえないと、花田清輝は言います。「幸福をみいだしたと思った瞬間、人は発見した世界と捨て去った世界とが、実は瓜二つであったことに気づ」き、「…

儀式の人モンテイロ

モンテイロは『神のコメディー』の主人公についてこう言います。「神ジョアンは儀式の人です。彼のエロティシズム趣味はそこから由来しています。エロス的関係を成就するには時間が必要です。だからこそどのショットもあれほど長く続くのです、さもなければ…

『アウター・アンド・インナー・スペース』

ウォーホルの『アウター・アンド・インナー・スペース』(1965)では、二つの映写機で左右二つの画面に投影された二人のイーディ・セジウィックが、それぞれ左側に置かれたビデオモニターに横顔で映る過去の自分の映像と対面させられます。右画面のイーディ…

『あとのまつり』

反復という「残酷な物語」を、あともさきもない「まつり」として肯定する瀬田なつきの『あとのまつり』の軽やかさは、マキノ雅弘を思わせました。http://www.youtube.com/watch?v=X6lkmEi0i40

デリダ『絵葉書』

ジャック・デリダ『絵葉書Ⅰ』(若森栄樹・大西雅一郎訳、2007、水声社)より 「1977年6月9日 君に手紙を書くために遠ざかること。もし今、私が君にいつも同じ絵葉書を送るとすれば、それは私ができることなら死にたいからだ、死んで、ついに、場所といえるた…

ヘルダーリン「ゲルマニア」

(…) インダスから飛び立った鷲は、/パルナソスの/雪をいただく嶺を越え、イタリアの/供犠の丘々をはるかに見おろして過ぎ、喜ばしい獲物を/父なる神のために探し求める、かつてなく手慣れた飛びかたで/老いた鷲は、歓呼の声をあげて羽搏き/ついにアルプス…

ジャン=クロード・ルソー『閉ざされた谷』

『閉ざされた谷』について語るジャン=クロード・ルソー 聞き手:Cyril Neyrat *1 「(…)元素は、強いられずとも、またどんなに遠くから到来しようとも、調和することを承諾し、共鳴状態に入り、物語を聞かせます。不意に何かが現れます。私には何かが達成…

ジャン=クロード・ルソー

「フレームが正しいのは、それが移行するとき、開かれてあるとき、つまり、視線がもはや提示されているものの上に止まらず、横断するときです。移行とは、表象の彼方を、深部を、提示されているものの彼方を見ることです。この深部は現実的です。絵画あるい…

フーコー/シュレーター

ヴェルナー・シュレーターとの対話でフーコーは次のように語っています。 「心理主義映画から完全に抜け出そうとするあなたのやり方は、私には実り豊かなものと思えます。そこで見えるのは身体、顔、唇、目だけです。それらのものにあなたは一種の情熱にあふ…

『小さな逃亡者』

「もし若きアメリカ人モリス・エンゲル(Morris Engel) がその美しい映画『小さな逃亡者』でわれわれに道を示してくれなかったら、ヌーヴェル・ヴァーグは起こらなかっただろう。」とトリュフォーに言わしめ、『大人は判ってくれない』の誕生に大きく貢献し…

『遭難フリーター』

岩淵弘樹の『遭難フリーター』は、お金がなくて泊まることもできず、雨降る夜に高円寺から平和島の海をめざして、ひたすら歩き続けるラストシーンが素晴らしかった。暗闇に見える「関係者以外立入禁止」の看板によって、海に至ることさえできないにしても、…

『チェンジリング』

冒頭に「真実の物語」という文字が見えますが、この映画は「真実」とフィクションの曖昧さをめぐる物語と言えるでしょう。ファスビンダーがナボコフの『絶望』を映画化した『デスペア』は、主人公が自分に瓜二つの男を殺害し、その男になり代わって生きよう…

『グラン・トリノ』

『グラン・トリノ』はイーストウッドが撮る最後の西部劇になるのでしょうか。イーストウッドの手の温もりが感じられる映画です。タルコフスキーの『ノスタルジア』のイーストウッド版??"You got a light? Me? I've got a light."

ジャ・ジャンクー『四川のうた』

「今日の映画はますますアクションに頼っています。私は映画が言語に立ち返ることを望みます。ある人々にとって、<語り>はキャメラによって捕捉される運動へと翻訳されるべきものです。私は、最も深い感情と最も複雑な経験が語りによって表現されることを…

花田清輝と安吾――『ものみな映画で終わる』

花田清輝はチャップリンの『モダン・タイムス』とルネ・クレールの『自由を我等に』のラスト・シーンを比較しながら、「どちらの作品においても、主人公たちの前に、たんたんたる道がひらけている点は同じである。しかし、前者においては、例によって例のご…

「ノリ」の映画術

黒沢清が『次郎長三国志』について、「もしこのシリーズ全九作を貫く物語上のテーマがあるとしたら、最初はささいな心理的葛藤の中にいたひとりひとりが、次第にその個性を消していって、いつの間にか誰が誰ともつかぬ非人間へと変貌していく、そのさまを描…

ハリウッド版『勧進帳』

『勧進帳』のテーマはもちろん日本に限ったものではありません。日本公開は戦後(1946)でしたが、マキノ・池永の『忠臣蔵』の前年に撮られたルビッチの『天使』(1937)にもそれは見られます。ディートリッヒ演じるヒロイン・マリアは、仕事の虫で妻を構わ…