2012-01-01から1年間の記事一覧

アレゴリーとしての記念品

「17世紀のアレゴリーの鍵となる形象は屍体である。19世紀のアレゴリーの鍵となる形象は〈記念品〉である。〈記念品〉は、商品が蒐集対象へと変質するときの典型的パターンである。〈万物照応〉は事実としては、あらゆる記念品が他の記念品への無限に多様な…

ベンヤミンの弁証法

「(…)形象とは、その中でかつてあったものがこの今と閃光のような一瞬に出会い、ひとつの布置を形成するもの。換言すれば、形象は静止状態の弁証法である。なぜならば、現在が過去に対して持つ関係は純粋に時間的・連続的なものであるが、かつてあったもの…

ストローブの社会主義

「今日に至るまであらゆる社会主義の試みは、人々に向かって犠牲を払わねばならない、諦めねばならないと言ってきた、今日ではもっとひどくて、もし幸福になりたければ、飲み水もきれいな空気も、余暇も静寂も諦めねばならない、そうすれば最高に素晴らしい…

ストローブのネストラー論

「われわれが作る映画の問題点は、知的であることではなく、あまりに単純であることだ。それらは感覚的だ。そのあらゆる瞬間が意味しているのは、光と運動を見てくれ、音に耳を傾けてくれということだ。」(ストローブ=ユイレ、ネストラー『時の擁護』より…

『早すぎる、遅すぎる』

「ストローブは特赦でフランスへ帰ることができました――彼は亡命生活のおかげで、イタリア(私たちはドイツで階級闘争を学び、イタリアでは見ることを学びました)とエジプト(つまりアフリカ大陸、いまなお農耕文化である)に滞在して、自分自身の国を発見しま…

モンテイロの手紙

ジョアン・セーザル・モンテイロのフランスでの初のレトロスペクティヴの際に、ジャック・デニエルの「なぜ映画を撮るのか?」という質問にモンテイロがフランス語で答えた手紙。(Trafic 50, 2004) 「秋の日のヴィオロンのため息の… 1991年9月8日、リスボ…

ミュンヘン時代のストローブ

「しかし、また別の若い映画が存在する、ジョージ・モース、ヴァルド・クリストル、ペーター・ネストラー、ルドルフ・トーメ、マックス・ツィールマン、クラウス・レムケの映画である(ここに別の名前が近いうちに加わることを希望している)。みんなまった…

トーメのホン・サンス論

ベルリンのアルゼナル映画館でのホン・サンス・レトロスペクティヴのために書かれたルドルフ・トーメのホン・サンス論 「ホン・サンス 血液中の焼酎 50年近く前に、私が映画を撮り始めた時、ジャン=リュック・ゴダールの映画があった。ゴダールが語りから取…

ヘラクレイトス

トーメがウィーン映画祭に行って街を歩いていたら、石壁にヘラクレイトスの言葉が刻まれていたという。 Denen, die in dieselben Flüsse steigen, fliessen immer neue Wasser zu und (immer neue) Seelen entsteigen dem Nass. 同じ川を溯る者には、たえず…

トーメとストローブ

ボンで映画批評を書き始めたトーメは一家でミュンヘンへ引っ越し、1964年にマックス・ツィールマンとともに『和解』を8ミリで撮り始めます。その後、クラウス・レムケの提案により16ミリで撮り直し、ローラント・クリックの短編試写会で「カイエ」の…

トーメ『哲学者』

『タロット』ではリューディガー・フォークラー演じるオットーの「川は流れる」と言う台詞に沿って映画が進行していましたが、『哲学者』の主人公ゲオルク・ヘルメスは「万物は流転する」と語ったヘラクレイトスを研究する哲学者です。ある日、『叡知への愛…

トーメ『タロット』

ゲーテの『親和力』のトーメによる映画化『タロット』でエドゥアルト役を演じたハンス・ツィシュラーは、トーメの映画を活人画と特徴づけます。流れる川のさざめきが闇夜に開かれた窓から入り込み部屋を満たす中、タロットで未来を占うオッティーリエの顔が…

レムケ・インタヴュー

クラウス・レムケがドイツラジオで尻出し抗議について語る。(聞き手・カトリン・ハイゼ、2012年2月29日) レムケ:(…)思うにオーバーハウゼン宣言以来、ドイツ映画は今日までせいぜい片手で拍手しているようなものだ。その原因は当時の若者たちが、映画館へ行…

クラウス・レムケ

かつてのノイエ・ミュンヒナー・グルッペの一人で今もミュンヘンのシュワービング地区に住むクラウス・レムケの近況。2012年ベルリン国際映画祭にて。 「アクション 死んだカーペット―ベルリン映画祭占拠―クラウス・レムケ (レムケによるナレーション)ドイ…

トーメ・インタヴュー

2009年、トーメ70歳記念に放映されたドキュメンタリー『私がおそらくもっとも得意なこと… ルドルフ・トーメの映画』(1983)収録のインタヴューより。 「小さな村からミュンヘンに出てたくさんの映画を見た。それからボンの大学で勉強し結婚して、お金を稼ぐ…

若山セツ子

『エノケンの天国と地獄』は、ルビッチの『天国は待ってくれる』を真似たのだろうが、映画自体はたいしたことない。以下の作品では若山セツ子の登場シーンと沢田研二の「君をのせて」が絶妙にマッチしている。 http://www.youtube.com/watch?v=NcdPoFO5c48&f…

『あの彼らの出会い』

「革命とは、太古の忘れられた事物に、その場所を返し与えることを意味する――このシャルル・ペギーの言葉をジャン=マリー・ストローブは、社会の未来が問題にされる時いつも用意していた、ヴァルター・ベンヤミンの革命は「過ぎ去ったものの中への虎の跳躍」…

ネストラー

写真的固定ショットが映画の断片化の方向に働くのに対して、語りや演劇的再現は、それぞれが一つのモナドとして完結しながら連結され、映画中に一定の持続性を導入します。例えばペーター・ネストラーの作品の多くでは、ある土地に根差した農民の姿が写真的…

木下恵介

木下恵介の『楢山節考』と『お嬢さん乾杯!』、どちらもとても良かった。特にトリュフォーも称賛したという『楢山節考』は、様式化された演出と浄瑠璃の音楽が心地よい。

パラジャーノフ

パラジャーノフは映画監督について、いろいろな仮装、変装、変身、擬態で大人たちを驚かす悪戯っ子のような存在として語っています。 http://www.youtube.com/watch?v=nha2Cc3rPx0&feature=youtube_gdata_player『アシク・ケリブ』について、タルコフスキー…

『I’M FLASH!』

豊田利晃の『I'M FLASH!』、カッコイイ!松田龍平が言うように、「最後に向かって全てが集結してゆく感じ」。阪本順治の『カメレオン』に引き続き、藤原竜也の演技も良かった。「神様にさよならを言う時、僕たちは海に潜る…」

小津映画のような乗合船に乗ってパステルカラーの夕空を原節子と眺める夢を見た。遠く海峡に架かる巨大な石造りの太鼓橋が入道雲の中に消えてゆく風景。

『モンスターズクラブ』

3・11の後に何を撮るのか?例えば豊田利晃の『モンスターズクラブ』における被爆した死者のようなモンスターたちとの対決。それでも地上への愛ゆえにテロリストであることを選択するモンスター。宮澤賢治の新たな読みが、東北への祈りとして捧げられます。 …

ルドルフ・トーメ

75歳のルドルフ・トーメが元気です。3月に革命直後のエジプトへ行き、壁に描かれたストリートアートの映像と画家へのインタヴュー映画をアップロードしています。このアートは、「ファラオの時代と革命と上エジプトの村落風習」のミックスとのこと。「今…

イ・チャンドン「ポエトリー」

イ・チャンドン「ポエトリー アグネスの詩」、他者を記憶するために、未知の名宛人へ向けて書かれる詩が、一人の死者を振り返らせる。忘却から私たちを守る盾である赤いケイトウ。アボジの作ったどぶろくを飲み、一升瓶を枕に眠る。

ピナとダニエル

死者に捧げられた二つの映画、『ピナ・バウシュ 夢の教室』と『ダニエル・シュミット 考える猫 Daniel Schmid Le chat qui pense』。ヴッパータールの街中で、劇場前の広場で、ヴッパー川の上を走る空中鉄道(Schwebebahn)の中で踊るタンツテアターのメンバー…

尹東柱

茨木のり子が紹介して有名になった尹東柱の詩。 行こう行こう 追われる人のように行こう 白骨に知られず 美しいもうひとつの故郷へ行こう 「わたし」が故郷へ帰ると、「わたし」の白骨がついて来て、同じ部屋に横たわった。「わたし」は白骨をそこに残して、…

『汽車はふたたび故郷へ』

イオセリアーニの『汽車はふたたび故郷へ』、いくつもの行ったり来たり、伝書鳩の往還、『歌うつぐみがおりました』への歌わない者たちChantrapasの回帰、そう言えばおじいさんの歩く姿がモンテイロそっくりだったような。それにしても、『ブンミおじさんの…

『ブンミおじさんの森』

闇の擁護者としての映画、闇の中でしか存在できないもの(幽霊、影、夢)の守護者。未来の独裁者は隈なく照らす光によって支配する。