2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ベンヤミンの弁証法

「(…)形象とは、その中でかつてあったものがこの今と閃光のような一瞬に出会い、ひとつの布置を形成するもの。換言すれば、形象は静止状態の弁証法である。なぜならば、現在が過去に対して持つ関係は純粋に時間的・連続的なものであるが、かつてあったもの…

ストローブの社会主義

「今日に至るまであらゆる社会主義の試みは、人々に向かって犠牲を払わねばならない、諦めねばならないと言ってきた、今日ではもっとひどくて、もし幸福になりたければ、飲み水もきれいな空気も、余暇も静寂も諦めねばならない、そうすれば最高に素晴らしい…

ストローブのネストラー論

「われわれが作る映画の問題点は、知的であることではなく、あまりに単純であることだ。それらは感覚的だ。そのあらゆる瞬間が意味しているのは、光と運動を見てくれ、音に耳を傾けてくれということだ。」(ストローブ=ユイレ、ネストラー『時の擁護』より…

『早すぎる、遅すぎる』

「ストローブは特赦でフランスへ帰ることができました――彼は亡命生活のおかげで、イタリア(私たちはドイツで階級闘争を学び、イタリアでは見ることを学びました)とエジプト(つまりアフリカ大陸、いまなお農耕文化である)に滞在して、自分自身の国を発見しま…

モンテイロの手紙

ジョアン・セーザル・モンテイロのフランスでの初のレトロスペクティヴの際に、ジャック・デニエルの「なぜ映画を撮るのか?」という質問にモンテイロがフランス語で答えた手紙。(Trafic 50, 2004) 「秋の日のヴィオロンのため息の… 1991年9月8日、リスボ…

ミュンヘン時代のストローブ

「しかし、また別の若い映画が存在する、ジョージ・モース、ヴァルド・クリストル、ペーター・ネストラー、ルドルフ・トーメ、マックス・ツィールマン、クラウス・レムケの映画である(ここに別の名前が近いうちに加わることを希望している)。みんなまった…

トーメのホン・サンス論

ベルリンのアルゼナル映画館でのホン・サンス・レトロスペクティヴのために書かれたルドルフ・トーメのホン・サンス論 「ホン・サンス 血液中の焼酎 50年近く前に、私が映画を撮り始めた時、ジャン=リュック・ゴダールの映画があった。ゴダールが語りから取…

ヘラクレイトス

トーメがウィーン映画祭に行って街を歩いていたら、石壁にヘラクレイトスの言葉が刻まれていたという。 Denen, die in dieselben Flüsse steigen, fliessen immer neue Wasser zu und (immer neue) Seelen entsteigen dem Nass. 同じ川を溯る者には、たえず…

トーメとストローブ

ボンで映画批評を書き始めたトーメは一家でミュンヘンへ引っ越し、1964年にマックス・ツィールマンとともに『和解』を8ミリで撮り始めます。その後、クラウス・レムケの提案により16ミリで撮り直し、ローラント・クリックの短編試写会で「カイエ」の…

トーメ『哲学者』

『タロット』ではリューディガー・フォークラー演じるオットーの「川は流れる」と言う台詞に沿って映画が進行していましたが、『哲学者』の主人公ゲオルク・ヘルメスは「万物は流転する」と語ったヘラクレイトスを研究する哲学者です。ある日、『叡知への愛…

トーメ『タロット』

ゲーテの『親和力』のトーメによる映画化『タロット』でエドゥアルト役を演じたハンス・ツィシュラーは、トーメの映画を活人画と特徴づけます。流れる川のさざめきが闇夜に開かれた窓から入り込み部屋を満たす中、タロットで未来を占うオッティーリエの顔が…

レムケ・インタヴュー

クラウス・レムケがドイツラジオで尻出し抗議について語る。(聞き手・カトリン・ハイゼ、2012年2月29日) レムケ:(…)思うにオーバーハウゼン宣言以来、ドイツ映画は今日までせいぜい片手で拍手しているようなものだ。その原因は当時の若者たちが、映画館へ行…

クラウス・レムケ

かつてのノイエ・ミュンヒナー・グルッペの一人で今もミュンヘンのシュワービング地区に住むクラウス・レムケの近況。2012年ベルリン国際映画祭にて。 「アクション 死んだカーペット―ベルリン映画祭占拠―クラウス・レムケ (レムケによるナレーション)ドイ…

トーメ・インタヴュー

2009年、トーメ70歳記念に放映されたドキュメンタリー『私がおそらくもっとも得意なこと… ルドルフ・トーメの映画』(1983)収録のインタヴューより。 「小さな村からミュンヘンに出てたくさんの映画を見た。それからボンの大学で勉強し結婚して、お金を稼ぐ…