2013-01-01から1年間の記事一覧
「日本社会は技術的な近代化がはやすぎるんだと思います。国民的実感は、技術的な近代化に適応してゆくのに大童ですから、生活についての歴史感覚がどうしても短い目盛りになってしまう。だから、東洋的な永遠の相の哲学が入ってこない、国民の実感のなかに…
「煙は立ち昇っていくわ、風をとらえ、軽やかになり崇高になっていく。灰はー落ちる、力なく、疲れ、いっそう物質的になり、その語を風化させてしまう。」(デリダ、『火ここになき灰』、梅木達郎訳) ナウシカから紅の豚を経て風立ちぬまで、宮崎駿は煙草の煙…
オムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す』に収められたビクトル・エリセの新作『割れたガラス』は、ジャ・ジャンクーの『四川のうた』を反復しながら、顔を見せ、語りを聞かせるだけで映画は成立することを示した素晴らしい作品です。「事物はそこにある…
石原吉郎、「フェルナンデス」 名づけること、名を与えること、たとえば「寺院の壁の しずかな/くぼみ」を〈フェルナンデス〉と。「ひとりの男が壁にもたれ/あたたかなくぼみを/のこして去った」、「ある日やさしく壁にもたれ/男は口を 閉じて去った」、…
宮崎駿の『風立ちぬ』を見て、久しぶりにヴァレリーの「海辺の墓地」を読み返してみた。 生と死、存在と不在が均衡を保つ正午の降り注ぐ陽光で構成される「海、海、たえず繰り返し始まる海」、「閉ざされ、聖別され、火種のない火に充たされ、地上の断片が光…
「ねむらねばならぬ 主体を喪失するために 喪失する主体をその瞬間にもつために その瞬間に一挙にもつために 瞬間の喪失のための瞬間の獲得 私が恒等式そのものとなるとき はじめて私は眠りに堕ちる その瞬間を瞬間としてもつために 眠る ひとつの意志で ね…
「灰と煙にはどんな違いがあるのかしら?一見すると煙の方が、なんの痕跡も残さずに消え失せてしまうようだけど、煙は立ち昇っていくわ、風をとらえ、軽やかになり崇高になっていく。灰はー落ちる、力なく、疲れ、いっそう物質的になり、その語を風化させて…
『閉ざされた谷』においてジャン=クロード・ルソーは、ルクレチウス同様、世界を原子の運動として表象しようとします。地球という巨大な原子の自転、公転が引き起こす昼と夜、春夏秋冬の推移は、原子の運動の円環性と反復性を指示し、それは回転する水車、…
ブランショによるルイ=ルネ・デ・フォレ論 「夜の夢の中に子供の姿が繰り返し立ち現れる。あるときは、紫苑と薔薇のあいだで微笑みながら、≪その恩寵の充溢する光の中に≫立って、またあるときは、宙にろうそくをかかげながら、自分が消え去るのを見られない…
花田清輝が賞賛していた椎名麟三の戯曲『自由の彼方で』 「みじんの狂いもない同じ生活をもう一度生きる」こと、「ほんとうにくだらない」生ではなく、コピーとして(仮象として)反復されるくだらなさを繰り返し生きることが、死への抵抗としての神の愛や。 …
「物の影と物の形と、みんな砕けたり集まったり、ひろがったり融けあったり、そして融けあったかと思うとすぐまた縮んで元の姿に戻る。輪郭は日光を縁どりした夏雲の峰のようにぼかされ、そこから水銀色の焔がふき出る。私の通った川はみなそうだった。 いま…
キアロスタミの『ABCアフリカ』は、ジャン・ルーシュの『ジャガー』や『僕は黒人 』に匹敵する傑作だね。