技術への問い

人間を大地から引き離し無根化する技術の制御できない無気味な運動のただ中に、存在の真理を抑制的、永続的に開示する技術としての詩作を、技術のより原初的な本質として見出すこと、ハイデッガーは技術をそのような二義性において捉えようとしているようです。つまり、技術時代のもうし子としての共産主義とかアメリカニズムあるいはナチズムを、…主義とか…イズムというレベルにおいてではなく、もっとより原初的な本質において捉えると、そこには存在の開示としての詩作=技術があり、そこまでヘルダーリンとともにとことん思惟するまで人類はそれらを乗り越えることができないということらしい。ちなみに技術時代をとことん思惟した人として、彼はマルクスを評価します。しかし、なぜあくまで「住む」ことにこだわるのか?ハイデッガーはドイツの森の人、ヘルダーリンは砂漠の人。それに気がつかないわけではなかったろうに。