2011-01-01から1年間の記事一覧

『東京上空いらっしゃいませ』

起きたかもしれない、起きなかったかもしれない固有の過去を誰もがもっており(マルテの手記)、人生がそんな上映途中のフィクション映画で、私はスクリーンに投影された映像で、そこにはプロジェクターの回転音が鳴り響き、世界の物音はそれにかき消され、サ…

『阿賀の記憶』

『阿賀の記憶』におけるリュミエールの記憶(列車の到着、ヴェニスでの初トラヴェリング)、土地の、水の、映画の、佐藤真の、私の記憶の重層、フィクションとドキュメンタリーの境の夢、無意識のうちにフィクション化される現実。記憶=フィクションの集積とし…

フレディ・ムーラー「最後通告」

「テレビと迷信からわれらを救いたまえ」(「最後通告」)3・11以後とテレビ 国民を操作するためにテレビはどんな嘘でもつくという姿勢を、テレビ自身がなり振り構わず示したこと。 テレビはネットに敵対するということ。

ネストラー、インタヴュー

ミュンヘンの映画博物館が出しているDVDシリーズEdition filmmuseum17巻、Christoph Hübner監督『Dokumentarisch Arbeiten 1』に、ペーター・ネストラーの63分におよぶインタビューが収録されています。かっこいいです。日本語字幕あり。

ネストラー「大地の重み」

Yann Lardeauは、ペーター・ネストラー論"Le poids de la terre"で、ネストラー映画に画家Edouard Pignon との親近性を見てとり、ピニョンのこんな言葉を当てはめています。「私はしばしば抽象絵画を、大地の重みを忘れたものとして非難してきた。大地の重み…

ネストラー

ペーター・ネストラーにおけるイメージと音声の分離について。 「ネストラーは物語者ではなく再話者なのだ、それは映画に撮られる事物とのもうひとつの関わり方だ。 彼は再話者である、つまり彼は知っているのだ、彼の伝える力が、自分からではなく、事物を…

『水門のほとりで』

ペーター・ネストラー『水門のほとりで』(1962) ナレーション訳 「私は老いた水門。その端には村がある。村は映画に撮られたがっているのか、私にはわからない、堆積泥の間に死んだように横たわっている私は、鋭敏な眼差しをもつ気もないのだ。木の杭とも…

『水門のほとりで』

ペーター・ネストラー『水門のほとりで Am Siel』(1962) http://www.youtube.com/watch?v=xUPtyIbEGhg(赤坂太輔氏twitterに感謝!) ナレーション冒頭 「私は老いた水門。その端には村がある。村は映画に撮られたがっているのか、私にはわからない、堆積…

水の系譜

ペーター・ネストラー、ルドルフ・トーメがともに河(あるいは湖)の作家として、ムルナウ/フラハティに連なる水の系譜に属していることの映画史的意義が今後評価されるならば、戦後ドイツ映画の豊かさがはじめて明らかになるでしょう。ネストラーが、河の詩…

「ブカレストの東 12:08」

「ブカレストの東 12:08 (12:08 East of Bucharest)」、1989年のルーマニア革命時まだ14歳だった若手監督コルネリウ・ポルンボユ(Corneliu Porumboiu)が、彼の故郷の人々にとってあの革命は何だったのかを問うた作品。2006年カンヌ映画祭カメラドール受賞。…

Kraftwerk

クラフトワークのStop! Radioactivity。http://www.youtube.com/watch?v=kXD6Gtinvbc

ミニマリズム

ミニマリズム。一切が失われた地点から、あとに残った最小限のもので再び反復を始めること。日常の反復の中で擦り切れてゆく主体が、もう一度主体として歩き始めるのも反復から。

ペーター・ネストラー『時の擁護』

ネストラーによるダニエル・ユイレ追悼作品『時の擁護』(2007)のあらすじです。映画は2004年4月ストックホルムで開かれた討論会の場面から始まる。「時間は唯一の武器である。金持ちはたえず投機するのに忙しく時間がない。時間があるということは強…

ファスビンダーとアメリカ

1977年7月、ファスビンダーのシュピーゲル・インタヴューF:ぼくはもうこれ以上ドイツでは暮らしたくない。これはたぶんぼくのまったく個人的な感情だけど、ここは独特の仕方で田舎的なんだ。そう感じているのはぼくだけじゃない、作りたい映画が、どんどん…

Hiroshima, mon amour

「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は茶番劇として。」(マルクス) 1954年、マグロ漁をしていた第5福竜丸がビキニ環礁で被爆。放射能汚染マグロが大量に破棄され、国民はマグロを買わなくなり、「風評被害」(?)により漁業関係者、寿司屋が損…

テレビ時代の終わり

テレビは子供の虐待死のニュースを伝えながら、一方で被曝野菜を給食で子供たちに食べさせようとする人物を称賛している。なぜテレビは学校の現場へ行って、その野菜が子供たちの口に入るところまで取材しないのか。

『ヒアアフター』

『ヒアアフター』には、イーストウッドの<語り>の力への信頼が感じられます。チャールズ・ディケンズの朗読、マット・デイモンの<口寄せ>。<語り>による癒しの力。

『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』

うっとうしい素材をさらっと料理して、元気をくれる作品に仕上げている瀬田なつきの手腕はみごと。何度でも繰り返し「みーくんだよ」と嘘つくことのすばらしさ(モンテイロ/ヴァルザーの『白雪姫』を思わせる)。ラウール・ルイスが見たらなんと言うだろう。

新年祈願

中川信夫『怪異談 生きてゐる小平次』がDVD化されますように。