『水門のほとりで』

ペーター・ネストラー『水門のほとりで』(1962)
ナレーション訳
「私は老いた水門。その端には村がある。村は映画に撮られたがっているのか、私にはわからない、堆積泥の間に死んだように横たわっている私は、鋭敏な眼差しをもつ気もないのだ。木の杭ともつれ合う柳の枝の間が導水路になっている。そこにわずかな水流が流れ込む。私の物語は水と泥土にまみれている。左右に広がる土地も水と泥土で作られた、漁船の立てる波は、この土地に遮られ消えてゆく。大きな波は来ない、だが、それは人間の生活の息吹を海と砂の上に運んで行った。漁のために船が往来しない時にも、波は親しげに打ち寄せ、私の乏しい水を陸へ打ち上げる、私の濁った水面は、しばしの間、帆桁と竜骨を夢見る、するとそれらは少し傾いだ姿でそこにあり、おもむろに破損箇所をこちらに見せる。家々は、風に強い煉瓦で建てられている。私の岸辺には人々を招く広場があり、食堂もある。漁船はここに身を横たえることができる、船の竜骨に砂がまといつく。鑿とハンマーを手に船を磨きに行く者も同様にここで一服できる。
船の入口の端の土地を私は食堂のために提供した、長く水の上にいると喉が渇くのだ。ここにも海沿いに家があり、干潟と泥土と、老いた私自身である小さな排水溝に眼を向けると、錬金術的世界が広がっている。しかし、人々は窓の後ろで見張っていられる。カーテンを少し脇へ引き、鉢植えを並べていると、突然、この小さな穴倉から巨大な海水が見える、それを詩人は歌い、船乗りは呪い、陸(おか)の小心者たちは戦慄とともに眺め、鮫はいまなおそこから冒険譚を贈り届ける。窓枠は白ペンキで塗られているが、少し風が吹けばすぐに閉じられ、部屋にはまた静寂が戻る。通りではもうたいしたことは起こらない、この海辺の友人たちはもう年をとりすぎたのだ。彼らは長生きするために、大人しくなった。隠れ家の窓の後ろから、彼らは子供たちを送り出す。子供たちは読み書きそろばんと、ゲーテの『静かな海と楽しい航海』を学ぶだろう、将来彼らは日用品を配達し、お金を勘定できねばならないのだから。老いた水門たる私が、驚きとともに眼にするのは、ここでも人々はしばしば手紙を出すということである。彼らにいったい何の語るべきことがあるのか、ときに私は無性に知りたくなる。だが、私を澄んだ尊大な眼差しで見つめ、とも綱と船を置き、たえず干拓して土地を得ていたあの人々は、何千キロも離れたところへ出かけて闘い、二度と帰って来ることなく、私の岸辺でこの十字架のついた奇妙な石碑によって記憶されようとしている。航海に独特のゆっくりした抑揚で話すこの鳥打帽の男たちは、生まれつきの漁師なのだ。宇宙飛行士は私の岸辺にはいない、彼らは時おりこんな格好をするが、ただバイクに乗るためだ。彼らはあくまで帽子を被り、しっかり地に足をつけている。良き教育者でもあるここの父たちは、私を利用することを心得た陽気な連中を生み出した。連中は私の上に船を浮かべ、風が船を沖へ押しやると、干潟で歓喜の叫びをあげるのだ。彼らは何かを失くしてもすぐに補える幸福な境遇にある。彼らに用心は必要ない。岸辺は私の一部であることを、私は彼らに教えてある、私はそれを泥土で教える。私を動かす風が、自転車に乗る人々をひどくぐらつかせると、若者たちは手をポケットにより深く入れ、毛編の帽子を耳まで被るしかない。そんな時にも海藻、くらげ、貝や魚の匂いは鼻を突いてきて、それを鎮めるにはグロックか氷砂糖入りのお茶に頼るしかなく、人々は自然と足早になる。フォルクスワーゲンだけは徐行運転で私のぬかるみを通り抜ける。跳ね上がった泥はよく洗い落とさねばならない。この町を走り私の岸辺に来れば、どんな光沢も消えてしまう。
私はすべてを耐え忍ぶ。解体された豚の横に洗濯物が翻っていてもかまわない。類まれな忍耐力だ。ここには墓地も教会もないけれど、庭園、あずまや、裏庭、半分朽ちかけたもの、ひどく軋む荷車、ウサギたちを私は耐え忍ぶ。私は石壁の崩落、木材に生える湿った苔、傾いた横木、自然に曝された屋根瓦、曲がった壁板に心を配る。なぜなら、私は区別をしないからだ。私の泥土の中にはすでにいくつもの村が、跡形もなく消え去っている。
しかし、いまはまだ私を知らないませた眼鏡くんたちが、棒切れで楽しく遊ぶにまかせておこう、素早い足で逃げられるつもりの彼らは、私の水門の水よりも急ぎ足で人生を生き抜くのだと信じている。私は彼らみんなの面倒を見る。彼らの小さい手はすぐに大きくなり、棒切れをハンマーに持ち替える。いま彼らは山のような高波と船長のパイプをくわえることを夢見ているが、やがてこの黒灰色のドックを歩き回り、船底の穴を塞いだ父たちに倣って船にタールを塗り、漁師となって出航する。彼らの眼は未知の方角へ向けられる。船の薄暗い船腹は私の水の上に浮いている。漁師たちには明るい場所を与えてやるのだ。私は彼らを望むところへ運んでやる。私がいっぱいに満たされ、水が流れ込む時、私は陸地を保とうと抵抗せねばならない、私を望まぬ陸地のために。人々がこうして船をハンマーで壊し、暗い瓦礫の山を築き、積み上げてゆく間にも、海はみずから泥土を打ち上げ、泥土は海を押し返し、いつの日か私をも無用者として、古い船をここに置き去りにするだろう、まるで役者も観客もいない広大な海辺の劇場で演じられた海の男たちの悲しい劇の残骸のように。しかし、それを気にしてはいられない。私はただ生き続けるだけだ。こんな老いた水門は憐憫の情をもたない。おそらくむしろ、船を侵食し、働きづめの生涯を使い果たしたというある種の喜びもっている。なぜなら私は青春期に十分与えたのだから。私は疲れた。私はしばしばとても疲れて人々の邪魔をする、そして彼らが穴倉の中のどこかに腰かけ、もはや色々な思いつきで私を不安にさせないことに喜びを感じるのだ。
楽しい隠れ家の中にいて、彼らは自分が世界から切り離されているとは考えない。テレビの興奮が様々な出来事を家の中に運んでくれると思っている。彼らはモダンなカーテンで私を締め出す気だ、まるで窓を閉めることで私を厄介払いできるかのように。彼らは自分たちの人生を決定しているのが、この老いた水門であることを忘れたいのだ。そこではトランプゲームの掛け声の合間に水道の滴る音が混ざる、まるで私など存在しないかのように。泥土にまみれた水溝たる私、失業者たちを支えている私、パイプの煙が薫りたち、彼らが熟練した手品師のような手つきでカードに興じている間、私はドアの前に横たわり待っている。私はいつまででも待っていられる。ビールとシュナップスは、もちろん私の濁った水より美味いだろう。彼らは私の悪臭の中でカードを続け、将来を考え、過去を考えてはカードを続け、今のままでいいのだと、自分を納得させる、そこには煙がたちこもり、噛みタバコは酸っぱくなる。どうして彼らにこのような夜を与えずにいられよう。彼らは私を気にせず、私も彼らを気にかけない、私たちはそれぞれに生き続ける。私は彼らのとも綱と竿で戯れ、彼らはビールグラスとカードで戯れ、笑い合い、エースが来ると勝ち誇る。
しかし、朝、彼らが赤く腫れた眼を開け、次は誰のおごりか約束してカード遊びを解散し、三々五々家路を辿りベッドに横たわる頃、私は満足して、彼らを再び支配下に置く。私の力は荒々しくない。老いた水門たる私は、静かに海へと流れ、海と分かちがたく結ばれると、私は外海で水門の仲間の一人、かつて私が水に浮かべ、海と船を信じることを教えた小さな船乗りに出会うのだ。」