2006-12-01から1ヶ月間の記事一覧

ジャ・ジャンクー

ジャ・ジャンクーは映画をまず声を聞かせることから始めます。『一瞬の夢』冒頭のバスを待つ人々の映像にかぶさる音源のわからない京劇風の男女の掛け合い、『プラットホーム』で劇場にたむろする人々の話し声とそれに続く青年団の芝居開始の口上、『青の稲…

上演の映画

ドゥルーズは芸術を、機械的な悪しき反復が自由で豊かな反復へと反転し上演される舞台として捉えています。 「それぞれの芸術には、瓦のように重なり合った諸反復のテクニックがあり、その批判的かつ自由な力能は、わたしたちを、習慣の陰気な諸反復から記憶…

『生きるべきか死ぬべきか』

ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』において、このハムレットのセリフが発せられると、必ず誰かが劇場の外へ抜け出します。それは、演劇を劇場の外へと脱領土化し、ヒットラーが世界規模で上演するファシズムの舞台上へと解き放ち、めまぐるしい真偽の反…

ジュネの音楽

「(…)三つのグループとも、それぞれ異なる歌い方をした。ふつうは斉唱だが、子供の兵士が自分で選んだところで二音か二音半高く顫音(トリル)で歌うのに備えた場合は別だった。このときコーラス隊は、まるで先祖に道を譲り、自分たちは引き下がるようにし…

ポンス/チェルケッティ

『カーネギーホール』のリリー・ポンスの歌声の傍らに、ウルマーがもう一方で好んだ『アメリカン・マッチメーカー』のイディッシュ語ソングや『恐怖の回り道』のジャズといった世俗音楽を置いてみると、ヴェルナー・シュレーターが『愛の破片』でベッリーニ…

『カーネギーホール』

ウルマーの『カーネギーホール』に採録された音楽家たちの演奏は、カラヤン的なロマン主義的情緒とは無縁な音の硬質さと明晰さによって特徴づけられているように思えます。ドリーブの「鐘の歌」を歌うリリー・ポンスの歌声は、まさに脱性化された機械状アレ…

声の機械状化

ドゥルーズによれば、音楽は「声の脱領土化」によって始まります*1。男女それぞれに特有の響きによって領土化されている声が、性差を乗り越え、「つまりアレンジされ、ある特有のアレンジメントを見出し、自らがアレンジメントとなり、機械状のものとなった…