ハイデッガーと技術時代

「近代的技術の惑星的運動は一つの威力であり、歴史を規定するそれの偉大さはどんなに大きく評価されてもされすぎることがないほどです。」「すべてが機能しているということ、そしてその機能がさらに広範な機能へとどんどん駆り立てるということ、そして技術が人間を大地からもぎ離して無根化してしまうということ、これこそまさに無気味なことなのです。」「技術の本質を私は私がせき-立て(Ge-stell)と呼ぶものにあると見ています。(…)せき-立ての支配とは人間が或る力によってせき立てられ、要請され、挑発されているということ、その或る力というのが技術の本質のうちで明らかになっているけれども、これを人間自身は牛耳ることができないということを言います。」「しかし、ニーチェとともに終結した伝承的形而上学の思惟様式は、今やっと始まりかけている技術的世界時代の根本動向を思惟で経験するという可能性を提供してはくれないと私は言うのです。」「人間がとにかくまず技術の本質への或る十分な関係に達するように、自分の限界内で加勢することにこそ思惟の課題があると思っているのです。」「私の思惟はヘルダーリンの詩作への或る不可避的牽引の内に立っています。」(「シュピーゲル対談」*1

*1:形而上学入門』所収、川原栄峰訳、平凡社ライブラリー、2003。