バロック演劇

後年のファスビンダーを成否は別にしてバロック的と呼ぶことができるかもしれません。失敗すれば『リリー・マルレーン』のようなマニエリズムに堕するけれど、うまくいけば『13回の新月のある年に』のようなシェークスピア悲劇が出来あがる。ゴダールがどういう意味で、ファスビンダーはどの映画もアレゴリーで終わらせてしまうと言ったのかわかりませんが、「アレゴリーにおいては、歴史の死相が、硬直した原風景として、見る者の目の前に横たわっている」*1というベンヤミンバロック演劇観からファスビンダーを見直すことはできないでしょうか。ちなみにドゥルーズはウェルズの中心を欠いた世界をバロック的と呼んでいます。生きている作家でバロック的と言えばやはりラウール・ルイスでしょうか。そして、バロック演劇とブレヒト演劇は、ベンヤミンにとってバロックと近代が通底していたように、どこかで繋がっているような気がします。

トーメは近年のものでは『Paradiso』(2000)しか観ていませんが、宇宙人みたいな黒眼鏡をかけて家族で日蝕を眺めるところなど、彼はどこまでもブレヒト的と思います。

*1:『ドイツ悲劇の根源』(浅井健二郎訳、ちくま学芸文庫)、29頁。