カネフスキー

カネフスキーの『ぼくら、20世紀の子供たち』は、レンフィルム出身のカネフスキードストエフスキーに捧げた(同じレンフィルムのソクーロフより遥かに優れた)映画、荒戸源次郎の『人間失格』は(反石原都知事の)太宰治と(深作以来久々に)中原中也に捧げられた映画。両者とも、文学と映画が手をとり合った素晴らしい作品です。
夢の中で人物が入れ替わるように、鎌倉のお寺で死ぬ前の中也と海棠が散るのを眺めていたのが、小林ではなく太宰だったら…と思うと、「ボーヨー、ボーヨー」。
ソクーロフドストエフスキー映画『静かなる頁』が、母なるワンちゃんのオッパイを飲んで終わるのに対し、カネフスキーは子供たちに父殺しをそそのかす。黒沢清の『アカルイミライ』のラストに近いかな?でも、この映画がドストエフスキー的なのは、父殺しとかペテルブルグとかよりも、むしろ、一人一人映し出される子供たちの顔のせい。アリョーシャと子供たち?