忘れられた物たち

 「いまの若い人たち蓮實重彦さんの批評にいかれてハスミー風邪をひいたのと同じように、私の時代は花田清輝の批評に魅せられて、みなその花粉症にかかっかた。」*1と回想する佐藤重臣は、ブニュエルとともに「戦後美学」の体現者と彼が評価する花田の功績について、「「人間の物質化」とか「物質の有機化」「ものへの挑戦」といった新単語が堂々と往来を闊歩出来るようになったのもいつにこの花田氏のおかげである。しかし、我々の周囲の芸術をみると、一向に芸術が物質化したことを肯かせるものは見当たらないし、物質が生命を有するかのように物凄い繁殖率を示しているようなものにもお目にかからない。批評の世界だけが、ひとりでお先走りしている感じである。」*2と述べています。戦後日本で萌芽した唯物論的物質主義が、60年代以降の悪しき文学主義による内面偏重の日本的風土によって潰されてゆく過程を、ここに垣間見ることができるでしょう。
 藤田省三もまた、心情重視の日本的風土についてこう述べています。「私は、戦前派的性格を自分で誇らしげに言ってる人は、マルクシストでも「心」的要素を多分に持っている、と思っている。そういうマルクス主義者が多いんだ。「心」的マルクス主義者がマルクス主義を実らせなかった原因の一つだと思う。」*3「「心」の文化国家というのは、天皇制から軍部を追い出したものなんです。天皇制は軍国主義だけじゃないんですよ。「軍国主義」と「文化日本」の二本建てになっていたんです。その一本だけ抜け取れというのが「心」のいいたいところなんです。(…)「心」が出している一つ一つのカテゴリーをひっくり返してその意味を変えてゆく工作が必要だと思うんです。」*4
 こう言う藤田は、「人間の物質化」の例として椎名麟三の『美しい女』を引いて次のように述べています。「『美しい女』の主人公は、仕事そのものを愛している、電車の労働者なんですけれども、電車に乗って、ノッチを入れ、エアを入れて、規則正しく動かすことが好きだ。規則正しく勤めに行くことが好きで、会社も好きじゃないし、仕事を支えている人間関係も好きじゃない、仲間も好きじゃない、仕事だけを抽象化して、仕事だけを好いている。この態度で、他人が全部軍需産業に転向しても彼は転向しない。時代がどうなろうと彼は変わらない。電車が動いていれば変わらない。ああいう強さ。むしろある特定の状況面に徹底的に埋没して、時代とか組織とかを切り離した対仕事そのものの状況に自分を定着させることによって、極端にいえば、自分を物に密着させることによって、人間の弱さから自分を解放して、非転向で貫いてる。(…)こういう方向、つまり状況そのものをもっとこまかく分割する。そして分割した特定の状況に自分を据えつけるような、そういう状況主義になることが望ましい。」*5椎名麟三が、なぜ日本思想の一つの欠陥を越えたかというと、「私は停止している」という姿勢を保っているからだと思う。二十年間彼は停止している。停止という形で個人の世界を確立したということは、最善ではないかもしれない。しかし行動という概念には、一切動かないということが含まれている。人間にとって不可能に近いことだが、これをめざす行動というのもふくまれなければならないわけですね。」*6
 一つの位置にうずくまることに極限の自由を見る石原吉郎という詩人もまた、椎名麟三が好きでした。

*1:『祭りよ、蘇れ!』、ワイズ出版、1997、354頁

*2:同、107頁

*3:『戦後日本の思想』、久野収、鶴見俊介、藤田省三岩波現代文庫、2010、143頁

*4:同、150‐151頁

*5:同、189‐190頁

*6:同、208頁