トーメのホン・サンス論

ベルリンのアルゼナル映画館でのホン・サンス・レトロスペクティヴのために書かれたルドルフ・トーメホン・サンス
ホン・サンス 血液中の焼酎
50年近く前に、私が映画を撮り始めた時、ジャン=リュック・ゴダールの映画があった。ゴダールが語りから取り出す美と詩と自由は私を熱狂させた。私はそれらすべてを所有したくて、カセットレコーダーを持って映画館へ行き、映画の音を録音した。それは愛だった。今日、映画を撮るのをやめようかという思いと戯れるようになって、私は韓国のホン・サンスの映画を発見した。昔とまったく同じように。
2年前、初めて彼の映画を見た、2002年の『気まぐれな唇』だ。そこでも、彼の映画がすべてそうであるように、はっきり言えば、酒とセックスがテーマだった。
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つまり、男と女が描かれる。長い誘惑シーンはいらない。二人が十分に焼酎を飲んだところで、男が「愛してる」と言い、彼らはベッドに入る。たいてい男は何人かの女と出会う、というのも基本的にこれらの映画は恋愛物語ではなく、冒険映画なのだ、もちろんクライマックスも危険もない。人生を散歩しているのだ。
演出理論もない。いくつかの映画は番号で章分けされており、他ではいくつもの物語が、混ざり合い、積み重なりながら語られる。一本の映画を見て、また他のを見ると、ほとんど区別できなくなる。少なくとも私にはそうだ。というのも、そこで目にするものが、実にリアルで、わざとらしくないので、関係性を思考し作り出すことを忘れてしまうのだ。
ホン・サンスの映画は、酒を飲むようなものだ。見ると酔っぱらってしまう。焼酎はワインよりも2倍も強い悪魔的な飲み物だが、ジュースのように甘い。ホン・サンスは、この韓国の緑色の小瓶の回りに彼の映画を構築する。すでに私はこの52歳の監督の作品をすべて見た。私が好きなのは、『教授とわたし、そして映画』(2010)、それは他の星で作られたように奇妙な映画だ。そこに隠されているすべては、水晶の含有物のように、ほんの一部しか明かされない。
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(『教授とわたし、そして映画』の)第3部ではこのカップルだけが、年配の教授とゼミ教室にいて、彼らの人生で重要なことを何でも尋ねることができる。大雪のせいで他の学生は来なかったのだ。このシーンで語られることは、ゴダールの『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナと哲学者の会話を想起させる。ホン・サンスはここでゴダールのことをきっと考えていたと思う、彼はゴダール直系の後継者なのだ。
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http://www.tagesspiegel.de/kultur/hong-sang-soo-soju-im-blut/7365096.html