ストローブの社会主義

「今日に至るまであらゆる社会主義の試みは、人々に向かって犠牲を払わねばならない、諦めねばならないと言ってきた、今日ではもっとひどくて、もし幸福になりたければ、飲み水もきれいな空気も、余暇も静寂も諦めねばならない、そうすれば最高に素晴らしい世界に住めると言っている。しかし、そんな素晴らしい世界は存在しないことを、われわれはチェルノブイリ以後知っている。想定よりいいとか、以前よりもいいとかいうのは真っ赤な嘘だ。まさにこのことにベンヤミンは抵抗した。社会主義共産主義の仲間に彼はこう言っていた、革命は進歩へ向かっての前進ではなく、過ぎ去ったものを目指しての虎の跳躍だと。君がわれわれの贅沢と呼ぶものは、われわれが何も失うものをもたないということだ。」(ストローブ=ユイレペドロ・コスタの短編『六つのバガテル』(2001)、 ペーター・ネストラー『時の擁護』(2007)に引用された部分より)
「(…)技術の発展を彼らは、自分たちが乗っていると思った流れの、その必然の道筋と見なした。そこから、工場労働――それは技術的進歩の成り行きの一環だった――は政治的成果のひとつであるという幻想までは、ほんの一歩でしかなかった。かつてのプロテスタント的な労働のモラルが、世俗的な装いに姿をかえて、ドイツの労働者たちのもとで復活を祝ったのだ。ゴータ綱領(1875)はすでにこうした混迷の痕跡をとどめている。それは労働を、「すべての富とすべての文化の源泉」と定義する。不吉な予感がしたマルクスはこれに対して、自分の労働力以外にいかなる財産ももたない人間は、「…有産者となっている他の人間たちの奴隷たらざるをえない」(『ゴータ綱領草案批判』)と反論した。それにもかかわらず、この混迷はさらに広がる。その少し後、ヨーゼフ・ディーツゲンはこう表明する、「労働とは新時代の救世主にほかならない。…労働の…改善の中にこそ富が存している。これまでいかなる救済者も成し遂げなしとげなかったことをいまや成し遂げうる富が」。労働とは何かについてのこの俗流マルクス主義的概念は、労働者が労働の生産物を手中にしえないかぎり、その生産物は労働者自身にとってどう役立つのか、という問いにほとんど関わろうとしない。この労働概念は、ただ自然支配の進歩だけを認めて、社会の退歩を認めようとしない。この労働概念は、後にファシズムにおいて見られる技術万能主義的特徴をすでに示している。その特徴のひとつが自然概念であって、それは三月革命以前の社会主義ユートピアに孕まれていた自然概念と不吉な対照をなしている。俗流マルクス主義が理解する意味での労働は、つまるところ自然の搾取に帰するのであり、なのに彼らはそれをプロレタリアートの搾取に対立させて、おめでたい満足感に浸っている。この実証主義的考え方に較べるなら、フーリエがさんざん嘲笑されるもとになったあの夢想は、はるかに健康な感覚が生み出したものとわかる。フーリエによれば、健全な社会的労働を確立すれば、いずれは4つの月が地球の夜を照らし、両極からは氷が消え、海水はもう塩辛くなくなり、猛獣が人間の用を足すことになっていた。こうしたイメージから窺える労働は、自然を搾取することから遥かに遠く、自然の胎内に可能性としてまどろんでいる創造の子らを自然がこの世に産み落とす産婆役を果たすものである。(…)」(ベンヤミン、「歴史の概念について」断章XI、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』(ちくま学芸文庫、2004)
パヴェーゼは、1935年ファシストによって南イタリアカラブリアに追放される。1945共産党入党、40才でトリノのホテルで自殺。自分が信じていたイタリア共産党が過去の重荷を受け止めず、進歩と発展へ逃げ込んだことに我慢ならなかったから、とストローブは言う。」(ネストラー『時の擁護』より)
マルクスにとって歴史的認識の主体とは、「隷属させられた最後の階級にして復讐する階級」として戦う者、すなわち、「打ち倒された幾世代の名において解放の仕事を完遂する階級」としてあった。ブランキの名に鮮烈な響きを与え、スパルタクスにおいて短期間貫かれたこのような階級意識に代えて、「社会民主党は労働者階級に、未来の諸世代の解放者の役を与えて得意がった。それによって社会民主党は、労働者階級の最強の腱を切断した。この党に学んだ労働者階級は、たちまちのうちに憎しみも犠牲への意志も忘れてしまった。というのも、憎しみと犠牲への意志は、隷属させられた祖先のイメージからこそ活力を得るのであり、解放された子孫などという観念からではまったくないからだ。」(ベンヤミン、「歴史の概念について」断章XII)
「革命とは、太古の忘れられた事物に、その場所を返し与えることを意味する――このシャルル・ペギーの言葉をジャン=マリー・ストローブは、社会の未来が問題にされる時いつも用意していた、ヴァルター・ベンヤミンの革命は「過ぎ去ったものの中への虎の跳躍」であるという要請とともに、「これはまた神話的対話を書いたパヴェーゼの理念でもあった。彼は同世代の人々に、未来への逃避では十分でないことを感じさせたかったのだ。」」(Markus Nechleba, filmkritik.antville.org/stories/1463920/)
「(…)パヴェーゼの神話の本は、古代の理想化と支配者の言語に反対することを目的としている。俗イタリア語で語られるこの本は、公的な歴史記述からはたえず抜け落ちてしまう、<素朴な>人々=農民たちの歴史への関与を浮き彫りにする。ジャン=マリー・ストローブはこの本を映画化した(『あの彼らの出会い』)理由についてこう述べている――神話にはそれほど関心がない、自分の映画は、過ぎ去ったものの中に潜在しているユートピア的可能性についての記憶、古代の農民と自然との堅固な関係についての記憶であると。」(Michael Girke, http://newfilmkritik.de/archiv/2007-10/daniele-huillet-%E2%80%93-erinnerungen-begegnungen-erw-fassung/
唯物論的歴史記述の根底にあるのは構成的原理である。(…)思考がもろもろの緊張によって飽和した布置において突然停止する時、停止した思考はこの状況にひとつのショックを与え、それによって思考はモナドとして結晶化する。(…)この構造の中に彼は、出来事のメシア的停止のしるしを、換言すれば、抑圧された過去を解放しようとする戦いにおける革命的なチャンスのしるしを認識する。」(ベンヤミン、「歴史の概念について」断章XVII)