石原吉郎

石原吉郎、「フェルナンデス」
名づけること、名を与えること、たとえば「寺院の壁の    しずかな/くぼみ」を〈フェルナンデス〉と。「ひとりの男が壁にもたれ/あたたかなくぼみを/のこして去った」、「ある日やさしく壁にもたれ/男は口を   閉じて去った」、もはやここにはいない沈黙した男の痕跡である「くぼみ」を〈フェルナンデス〉と名づけること。それはかつてひとりの男がこの壁にもたれて立っていたことを、彼がそこにやさしいぬくもりを残して去ったことを証言する固有名でありながら、そのような名もない男がいたるところいるように、どこにでもありそうな壁の特徴のない「くぼみ」を指示する。固有性をもたないのっぺらぼうの「くぼみ」に名を与えるとき、その名はすでに誰の名でもない。だから、詩人はこう要請する、「しかられたこどもよ/空をめぐり/墓標をめぐり終えたとき/私をそう呼べ/私はそこに立ったのだ」。詩人自身も〈フェルナンデス〉である、すなわち、壁にもたれて立った男たちの系列に連なる一人として名をもつと同時に、その多数のうちの一人であるがゆえに名の固有性を消し去った「しずかな/くぼみ」にほかならない。オリヴェイラの『世界の始まりへの旅』のペドロ・マカオも、そんな〈フェルナンデス〉の別名であろう。