煙と灰

「煙は立ち昇っていくわ、風をとらえ、軽やかになり崇高になっていく。灰はー落ちる、力なく、疲れ、いっそう物質的になり、その語を風化させてしまう。」(デリダ、『火ここになき灰』、梅木達郎訳)
ナウシカから紅の豚を経て風立ちぬまで、宮崎駿は煙草の煙のように風に乗ることを夢見てきました。宙を漂い軽やかに消えてゆく煙のイメージに美を見出すことに、われわれは慣れ親しんでおり、そこから仮象としてのイメージの文化が形成されてきたのかもしれません。あなたの言う美の過剰とは、そのような崇高な煙の文化を指すのでしょうか。そこではあまり灰は問題にされない、灰という物質的残滓がかえりみられない、しかし、灰を見つめることなしに映画は存在しえません。