『略称 連続射殺魔』

足立正生の『略称 連続射殺魔』は、死刑囚・永山則夫が、生まれてから逮捕までにさまよい続けた風景を辿りながら、その風景のなかに不在の永山の痕跡を求めようとするものですが、見ながら時おり、佐藤真の『SELF AND OTHERS』を見ているような錯覚に陥りました。佐藤もまた不在の牛腸茂雄を彼が通過した風景をとおして捉えようとしたのですから、当然といえば当然ですが、永山がはじめて東京に出て入ったニシムラ・フルーツの社員寮や逮捕前に住んでいた中野のアパートの内部のショットなどは、佐藤が見事なパンで撮った牛腸の自室の映像と驚くほど似ているように感じました。永山が流浪の途上で通過したいくつもの風景が、幻のような浮遊感とともに心象として積み重ねられ、しだいに地理感覚が失効してゆきます。『赤軍PFLP・世界戦争宣言』もまた素晴らしい移動撮影に溢れていましたが、走る車の外を流れる風景を無音のまま早送りで延々と映し続けるシーンは、まるでストローブ=ユイレの『早すぎる、遅すぎる』を見ているようでした。不在の対象を不在のままに記録するということは、映画にだけ可能な特権でしょうか。この映画は、不在の風景を執拗に撮ることをとおして、その風景を通過した永山の皮膚感覚とでも言うものを伝えようとしているように思います。佐藤が不在の牛腸の身体を一本の木に代替させて蘇らせたように、足立もまた風景をとおして身体なき身体の映画を撮ったのではないでしょうか。