マラルメと映画

ロメールの『マラルメ』でマラルメは、いつかルドンに自分の詩に挿絵をつけてもらいたいとは思わないか?という質問に、それもありうるかもしれないが、「どんな挿絵もないことに賛成です。一冊の本が喚び起こすほどのすべては読者の心の中で起こるはずですから。しかし写真を用いるとおっしゃるなら、何故いっそのこと映画にしないのですか。そのコマ繰りが絵も本文もひっくるめて多くの本の代わりを首尾よく勤めることでしょう。」*1と答えています。ここでロメールが、「ありうるかもしれない」とマラルメに語らせているのは、実際マラルメが『骰子一擲』への挿絵についてルドンと話し合ったが、マラルメの死によって立ち消えになったという伝記的事実を踏まえてのことでしょう。ロメールが敏感に反応したマラルメの「いっそのこと映画に」という発言は、シネマトグラフが誕生してまだ二年ほどしかたっていない頃のものです。蓮実重彦がこの発言をめぐって言うように、この「コマ繰り(deroulement)」という映画の運動に、マラルメが「まったく無感覚だったとは考えにくい」*2、なぜなら、彼は時評『印象派の画家たちとエドゥアール・マネ』において、ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』を部分的に先取りするかたちで、大衆芸術時代の到来を予見し、その先駆をマネに見て擁護しているからです。

*1:筑摩書房マラルメ全集Ⅲ

*2:同、月報