『アタラント号』

ジャン・ヴィゴアタラント号
『カメラをもった男』がカメラを廻す円運動と様々な機械の円運動に溢れているように、『アタラント号』にも出航する船へ花嫁を渡す回転棒から、船の舵、手廻し洗濯機、水門を開ける回転レバーなど回転する機械類が頻出します。ヴィゴはこれらの機械が発する音と音楽を映画の主役にしました。ボートを巻き上げるクレーンの音、船の蒸気エンジンの音、回転するミシンの音、チューニングダイヤルを廻すことで様々な音を出すラジオ、あるいはジュール爺さん(ミシェル・シモン)の部屋にある手廻し式ガラガラ、ゼンマイ仕掛けの鳴り箱、カラクリ指揮人形オルゴール、パリのダンスホールの自動音楽演奏機、ジュール爺さんが修理する蓄音機…。そして、人間もまた、これらの機械と連動する自動人形として表象されます。冒頭で人形のように無表情にぎこちなく腕を組み歩く船長(ジャン・ダステ)と花嫁(ディータ・パルロ)、ダンスホールに現れるチャップリン的行商人と花嫁の機械的なダンスの円運動、船長や店主に小突かれる行商人のマリオネット的動き、彼はまた自動人形のように太鼓とラッパとシンバルを鳴らしながら船まで花嫁を誘惑に来ます。一人パリに出た花嫁がショーウィンドウに見るパリの街並みを再現した踊る自動人形は、ガラスに映り道行く人々と重なり合い、そのイメージはさらに最新ファッションで着飾ったマネキンたちに繋げられます。花嫁を置き去りにした後、音楽を奏で始める蓄音機とは対象的に、壊れた自動人形のように硬直して動かなくなってしまう船長。これらの自動人形を操る運命の法則を、水による恋占いでしか垣間見られない船長と花嫁に対して、機械仕掛けの収集品(そこには人間の手の標本も含まれます)と猫とカード占いによってそれにより精通しているジュール爺さんは、花嫁を探しに出かけ、レコード試聴店(?)で自動演奏機の選曲ダイヤルを廻し「船乗りの歌」を聴いている花嫁の居場所を、店の前の蓄音機のラッパから流れる曲によって聴き当てます。この映画でジュール爺さんは、その機械との親近性において、チャップリン的自動人形の行商人=手品師同様、運命の法則に精通した魔術師的存在としてあり、世界を徹底して機械の相のもとに見る唯物論的明晰さにおいて、逆に機械的な運命の法則をすり抜け放浪する猫のような自由さを手にしているように思います。