モンテイロ/パゾリーニ

ストローブ=ユイレに捧げられ、セルジュ・ダネーモンテイロに書き送ったという「ジョン・ウェインが北極でみごとに腰を使いこなす夢を見た」との言葉で始まる『J.W.の腰つき』では、冒頭、パゾリーニの『ソドムの市』を思わせる左右対称の空間として構成されロングショットで捉えられる中二階らしきホールで演じられるアウグスト・ストリンドベリの『インフェルノ』の神(モンテイロ)とルシファーの対決(?)を描いた(と言うか、茶化した)劇が、「神は死んだ(ニーチェ)、ニーチェは死んだ(神)」というくだらない冗談で終わった後、スクリーンのような窓枠に坐ったルシファーと女によってパゾリーニの『インフェルノ』評が朗読されます。そこでパゾリーニは、「臨床的狂気の最も基本的で最も普通の苦しみ(不眠、窒息感、体内での放電印象、頭の中での唸音妄想、闇の力によって、あるいはひどく卑しめられ殺人者の役を負わされる現実の不幸な人々によって処刑され殺されるという恐怖)を経験した」ストリンドベリの「狂気が、潜在的に、われわれの眼前に、ストリンドベリを他の狂人たちと同じものにする致命的な凡庸さ(狂気ほどステレオタイプなものはない)においてそこに現れている。」と、『インフェルノ』を評しています。モンテイロがこの箇所を引用したのは、この映画がおそらくパゾリーニの『ソドムの市』をモデルにしながら、冒頭の『インフェルノ』劇のように、ステレオタイプ化された身体による凡庸な小演劇の連続によって作られているからでしょうか。しかし、その各シーンの優美なこと…