ストリンドベリ/ニーチェ

ベンヤミンは、ユーゲントシュティールにおける神経系と電線の一体化に触れつつ、ストリンドベリの体内放電現象についてこんな証言を引用しています。「彼の神経は大気中の電気に対してひどく敏感だったので、雷が導線を伝わるようにその神経に伝わったそうである」*1



ストリンドベリニーチェの出会い
自分をニーチェの「敬虔な弟子の一人」と呼ぶストリンドベリに宛てて、ニーチェ1888年12月7日、書き上げたばかりの『この人を見よ』のフランス語訳依頼の手紙を書いています。翻訳の話は実現しませんでしたが、これ以降のストリンドベリとの往復書簡においてニーチェはやがて狂気によって自分を見失い、自分を「カエサルニーチェ」と署名します。これにストリンドベリが「多少ノ困惑トトモニ」「至高ニシテ至善ナル神」との署名で応えると、これに対しては「十字架にかけられし者」と署名し返します。画家バルテュスの兄ピエール・クロソウスキーによれば、ストリンドベリは、ディオニュソスニーチェが同時に反ニーチェキリストでもあるという二重の相貌を見せた一人です*2ニーチェの中ではディオニュソスキリストあるいはディオニュソスアリアドネという相反する人格の交替が波のように繰り返されていたようです。
そのニーチェは『ツァラトゥストラ』執筆中の身体状態をこう述べています。
「私の場合、創作力が最も豊かに湧き出るときには、筋肉の軽快さもまたつねに最高になった。身体が先に熱狂的感激に浸されてしまうのである。「魂」のことなどは論外としておこう。…幾度か私が踊っている姿を見たという人もいるかもしれない。」*3
「足に運びはわれ知らず疾駆となったり、漫歩になったりする。完全な忘我の状態でありながらも、爪先にまで伝わる無数の微妙な戦きと悪寒とを、この上なく明確に意識してもいる。(…)広く張りわたされたリズムへの欲求が、ほとんどインスピレーションの力を測る尺度であり、インスピレーションの圧力と緊張とに対抗する一種の調節の役目をも果たしている。…一切が最高の度合いにおいて非自由意志的に起こる。」*4
非自由意志的な自動人形としてのニーチェを捉えたこの「リズムへの欲求」を、デリダフロイトの『快感原則の彼岸』におけるfort:da(いないいない、ばー)の、存在と非在の交替のリズムと結びつけます*5。それはフィルムの映写における光と影の交替、あるいはストローブ=ユイレの助手からデビューしたジャン=シャルル・フィトゥッシの長編デビュー作『私が存在しない日々』で24時間ごとに存在と非在を繰り返す男の物語とも無関係ではないかもしれません。

*1:『パサージュ論』、岩波現代文庫、第3巻、2003、428頁

*2:ニーチェと悪循環』ちくま学芸文庫、2004、449頁

*3:『この人を見よ』

*4:

*5:『』