マティス

「ある日、(マラルメの詩集の挿絵のために)百合を素描していました。自分がやっていることをほとんど意識せずに素描していたのです。そのとき、ピエールがドアをノックしました。私は怒鳴りました、「入ってはいけないよ、あっちへ行ってくれ、後でまたきなさい。」ちょっと気が散ってもすっかり調子が狂う恐れがあるからです。そして、仕上がった時、自分が描いたものを見るとそれは百合とはまるで関係のないクレマチスの花なのです。それは、私の庭の垣根のクレマチスで、何ヶ月も心の中に抱いていたわけです。」*1
このエピソードにアンリ・マティスの創作における意識的なものから無意識的なものへの移行過程が表現されています。目の前にある百合の素描から出発して、マティスは、何ヶ月も無意識に抱いていたクレマチスの花を描きます。極度に集中した意識的な努力をとおして、無意識的なものとの出会いへと向かうこと、そのためには遺跡発掘現場のように無意識を掘り起こす長時間の入念な作業が必要とされるのでしょう。
「手段をものにするには努力を通じて意識的なものから無意識的なものへ移っていかねばならないのです。」*2
「自発性は私が追い求めているものではないのです。だから、サロン・ドトーンに出ている『ルーマニア風のブラウスを着た眠る女』は6ヶ月の制作期間を要したのです。」*3
「人間は一つの目しか持っていないので、それですべてを眺め、記録する。この目は優秀なカメラのように非常に正確で、まったくちっぽけな小型の陰画を作ります。この陰画を得て彼は、今度は事物の現実を得たと思う。そして、しばらくの間彼の心は落ち着く。それからゆっくりとこの陰画に重ね合わさるようにして目に見えないもう一つの目が現れて来て、まったく違った陰画を作り上げます。そうなると彼はもうはっきり見ることができなくなり、第一の目と第二の目との間で争いが起きて、抗争は激しくなり、ついに第二の目が優位を占め、第一の目を虜にして文句なくやっつけてしまう。支配権を握った第二の目はその後は自分の仕事を進め、内部視覚の法則に従って自分自身の絵を入念に仕上げることができるのです。」*4

*1:マティス 画家のノート』、みすず書房、2004、209頁

*2:同、635頁

*3:同、364頁

*4:同、243頁