『怪人マブゼ博士』(60)

32年の『怪人マブゼ博士』は、マブゼの閉塞性の呪縛が窓によって打ち破られる物語でしたが、60年にフリッツ・ラング自身がリメイクした『怪人マブゼ博士』においては、テレビがあらゆる空間に浸透して事件を見世物化し、密室というものが存在しえなくなった時代に、テレビのように開いた窓こそが、人を呪縛し誘導するマブゼの眼として機能しています。32年版のコピーとして二台並んだ車の窓越しにテレビレポーターが狙撃されるシーンから始り、ローマン警部のそれとよく似た執務室にクラス警部は坐っていますが、今回は映される部屋のほとんどに窓があり、たいていはレースのカーテンが掛けられています。マブゼの催眠術によってホテルの高層階から投身しようとするマリオンを、窓で野次馬たちが見物する中、テーラーがレースのカーテンを開けて窓から彼女を自室へ導き入れる瞬間から、マブゼの術策は始まります。ホテルのバーはすべてが見とおせるガラス張りであり、マブゼの遍在する眼であるカメラが二人の行動をすべてホテルの地下のテレビスクリーンに映し出します。一方、マブゼによって爆破されたクラスの執務室の窓は板で目張りされ、マブゼの視線を遮っているようです。マブゼによる交霊術の会で窓のカーテンが開いている時、ホテルの部屋のカーテンの開いた窓の前でテーラーとマリオンが愛を語る時、マリオンの部屋をテーラーが隣室のマジックミラー=窓から覗く時、そこにはマブゼの術策が作動してます。マリオンの部屋に亭主と名乗る男がやって来て起こる殺人劇は、マリオンの狂言自殺同様、カット割りまでテレビドラマを模倣したキッチュな演出で、マブゼのテレビ的本性を表しています。すべてが明け透けになり大衆の眼に曝された空間で、テレビは大衆を誘導し均質化し管理するのであれば、人はもはや地下の密室でしか真実を語れない。それが、ナチス時代からテレビ時代への移行に連続性を感じ取ったラングの遺言なのでしょう。