『珈琲時光』

侯孝賢の『珈琲時光』で、一青窈がほとんど横顔から撮られているのは、胎児の横顔として捉えられているからでしょう。一青自身が一人の胎児であり、その一青の中にも胎児がいて、外界のもの音に耳を澄ましている。踏み切りの警鐘の音、車のドアを閉める音、蝉の声、麦茶をつぐ音、そばをすする音…『珈琲時光』は胎児が聴くもの音の映画です。この胎児は母親と、携帯電話という臍の緒で繋がっています。しかし、母親は、ゴブランに誘拐された赤ん坊のように、いつどこですり替えられているかわからない。本当の母探しに意味はなく、肉じゃがを作ってくれる継母や浅野忠信が、代母、代々母の役を果たします。東京でルーツ探しを演じる孤独な胎児は、走る電車の音に、母に代わるものの心音を聴いて眠ります。