『サマリア』

キム・ギドクの『サマリア』では、最初の「バスミルダ」の章でずいぶん多くの機械が出てきます。少女たちが、客との通信に使うパソコン、携帯。インドの菩薩的娼婦にちなんで自分をバスミルダと呼ばせる少女が客に取るのは、自動ドアのセンサーを扱うセールスマン、電子音楽の作曲家。二人の少女が歩く庭園の木の一本一本に付けられたバーコード。客と待ち合わせる採石場の機械。二人で撮るプリクラ。朝、少女の父が娘を起こすのにサティをかけるウォークマンとヘッドホン。作曲家が車を開錠するリモコン。これらの機械のほとんどは、ある距離を隔てて対象に作用を及ぼすようにプログラムされたものと特徴づけられるでしょう。登場人物たちも同様に、どこかよそからやって来る作用によって動かされる自動人形のようであり、二人の少女が庭園の壁上の石像たちと並んで坐ってみせるのも、そのような人形性の表現と言えそうです。次章「サマリア」で死んだ少女に動かされるように分身として売春を始める少女は、客に笑うなと言われても憑かれたように笑い続け、一方、父は娘の行動を距離をおいて見守ることで狂気を誘発してゆきます。最終章で父と娘が死んだ母の墓参りに行くとき、少女はすでにバスミルダの化身として母性的な慈愛を父にさえも示します。こうして父を一人の哀れな男性として発見した少女は、ラブホテルで殺された少女たちのように、父によって殺害されて地中でサティを聴くことを夢見るのですが、父は娘との距離をそのままに一人舟に乗せて送り出してやるのです。