身体の映画

エイゼンシュテインの誕生から死までの「自伝」という形式を取りながら、彼のフィルムのうちにロシア史や社会主義建設ではなく、自然のリズムの表現としてのダンスの動きと線を見出そうとするオレーグ・コヴァロフの『エイゼンシュテイン自伝』は、やはり詩人の伝記に託して身体による絵画を描こうとするパラジャーノフのダンス映画『ざくろの色』に、子供の捉え方や振り子の用法などをはじめとして、そっくりです。

30年前後にサイレントからトーキーの過渡期にあったチャップリン、ヴィゴ、ルノワール、ラング、エイゼンシュテインらによって取り上げられた機械と接続した身体、自動人形的身体の映画が、トーキーの時代を横切り、パラジャーノフのような様式化された反自然主義的演劇の映画として延長されてゆきます。演じられるものの演劇性をあえて強調することで、身体の物質性を浮き彫りにしながら、それと声あるいはモノ音との新たな結合あるいは分離に焦点を当ててゆく映画、例えば鈴木清順モンテイロキム・ギドクetc.etc.