閾の人ゴダールにとって橋は、『新ドイツ零年』で黒服のドラが橋を渡ると白服に変わっていたり、『映画史3a』冒頭で美女と野獣、国家と民衆のイメージの交代の間に突然、ルネッサンス的な石橋の絵が挿入されたりと、特権的な機能を担っています。オリヴェイラにとってもドウロ河に架かる橋は、彼の映画が目指す静止状態の均斉を表わしているようですが、ハルトムート・ビトムスキーも『第三帝国アウトバーン』において、アウトバーンにおける橋の役割に何よりも着目します。大河に架かる橋は、古代神話の復元、現代的機能美の極致としてナチス政権の「威信」そのものであり、鉄道とアウトバーンを切断することなく交差させる要であり、それらの朽ちた廃墟はいまもドイツ国内に無数に散在しているそうです。小津映画の内と外の繋がった空間を継承するやはり閾の人ペドロ・コスタの『骨』では、内と外を隔てる窓とドアと鍵が繰り返し撮られながらも、外の喧騒はその仕切りを通り抜けてたえず内を浸し、内に閉じこもり死のうとする女の試みは、外からやって来る者によってつねに頓挫させられます。