オルケスタ・デル・ビエント

町田康INU立命出身の林幸治郎(現・ちんどん通信社社長)に宣伝を依頼して同志社でライブをやっていた頃、3ヶ月ほどINUにいた関西学院の小間慶大は同大学での風の旅団の公演を契機に(「洗脳」テントから連れ戻そうとする町田の願いもむなしく)音響スタッフとして参加、やはり東京でチンドン屋さんをしていた大熊ワタル篠田昌已らとともに、初期の風の旅団の音楽を作っていた工藤冬里(工藤は当時、シェシズのメンバーとしてアルバム『シェシズ/約束はできない』(84)にも参加)をサポートしてゆきます。その工藤が去った後、小間、大熊、篠田、西村卓也、清水浩一郎らが旅団の音楽を集団制作していった時の架空の楽団名がオルケスタ・デル・ビエント。旅団は山谷闘争、全国巡業の時代に入ります。ちなみに、記録映画『山谷〜やられたらやりかえせ』(6月17日、東京日仏学院にて上映あり)の音楽は、「手配師玄ちゃん」こと平井玄の指令(?)で、大熊と篠田(蠱的態)が担当。*1