身体の演劇

80年代の演劇の主流が、唐十郎的な特権的身体の演劇からプライベートな言葉の演劇へと移行してゆくなか、あくまで身体の演劇にこだわった風の旅団の芝居は時代遅れとして政治的風評以外にはほとんどまともな演劇批評の対象とならなかったと思いますが、85年に結成された清水信臣の劇団解体社が、芦川洋子らとともに土方巽に師事した日野昼子の舞踏的身体を中心に据えながら、90年代に入って一躍脚光を浴びたのはなぜかを考えると、例えばダムタイプの舞台がやはりそうであるように、ストロボライトとデジタル映像と電子音によって特権的身体を虚構化し、遊行の風景を彷徨う幽霊的なものとして提示してゆく清水の演出に拠るのではないかと思います。ならば、桜井大造の芝居は、布川徹郎の露出不足と露出過多、白黒とオレンジと青のフィルムを繋いだメカス的映像をとおしての映画的身体として再現されてはじめて、鈴木清順の幽霊的主体の映画のように、未来へ向かって開かれたと言えるでしょう。