ボン・マルシェ日記

中原中也が1937年2月に精神病院を「無理に」退院して、鎌倉の寿福寺境内に引っ越してから10月に死ぬまでの間つけていた日記を「ボン・マルシェ日記」と言います。パリの百貨店ボン・マルシェ発行のスケジュール帖で、偶数頁の上欄と奇数頁の下欄にボン・マルシェで売っている商品(ドールハウスとかアクセサリーとか)の説明らしきものとそのイラストがついています。「(3/20) Samdiファンク博士の『新しき土』を見にゆく。余り面白くもなし。」「(3/30)Mardi夜映画をみる。嵐寛寿郎の『男の道』及び『さらば外人部隊』。」「(4/2)Vendredi 夜『沓掛時次郎』(新興キネマ)をみる。『豪快男一代』をもみる。」「(5/20)Jeudi『ターザンの逆襲』を鎌倉常設館に於てみる。面白し。」「(5/27) Jeudi 外国物だと思って這入つたら間違つてゐた。予告は外国物ということだつたのだ。鎌倉常設館はインチキである。」「(9/22) Mercredi西洋映画をもはや輸入せぬとの記事。」