ファスビンダー

ドイツのマイケル・カーチスになろうとして、年に7本も映画を撮っていたファスビンダー。彼自身が言うように、映画を撮らずにはいられない病気だったのでしょう。『秋のドイツ』では、バーダー・マインホーフ・グループのテロリスト3人が刑務所で死んだ事件で鬱になってぼろぼろの自分を全裸のままカメラに晒したファスビンダーの部分がやはり一番面白いし、あるいは『十三回新月がある年に』といった尋常ではない作品を観ると、やはり戦後ドイツで最も偉大な映画作家と思います。インタビューでファスビンダーを「意識的なファシスト」と呼んでダニエル・ユイレにたしなめられたジャン=マリー・ストローブは、むしろ彼は「非政治的」であり、「無責任」なんだと訂正します。「ドイツで反共産主義が台頭しつつあった時代に、彼はまったく無責任だった。しかし、彼の無責任さは、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』や『四季を売る男』においても『ニコラスハウゼンの旅』や『アメリカの兵隊』においてもじつに偉大なんだ。」このストローブの発言と、セルジュ・ダネーが、テーマ的次元でファスビンダーは政治的と言えるかもしれないが、これはたいして重要ではなく、むしろ、ファスビンダーの映画の魅力は、メロドラマが頓挫する瞬間に彼の無意識的欲望の対象が垣間見られる「失敗の美学」にあると考察しているのを合わせて読んで面白く思いました。*1