『影の天使』

ダニエル・リーベスキンドが設計した「脱構築」建築「ベルリン・ユダヤ博物館」には、ルビッチ監督・主演のサイレント短編映画とともに、ファスビンダーの芝居『ゴミ、街、そして死』が反ユダヤ主義的だと抗議するフランクフルトの人々とそれにインタビューで答えるファスビンダーの映像が流れていました。ダニエル・シュミットはイングリット・カーフェン主演の『ラ・パロマ』に次いで、この芝居を基にファスビンダーとの共同脚本で『影の天使』を撮り、やはりずいぶん反ユダヤ主義的と非難されました。カーフェンとファスビンダーが娼婦とヒモの役で出演するこの作品には、街の影の権力者である「金持ちのユダヤ人」と、彼に敵対するファシストたちが登場しますが、反ユダヤ主義的という非難は主にこのファシストたちのセリフの一部のみを取り上げてなされたようです。ドゥルーズはこの映画を擁護する新聞記事(ルモンド、1977.2.18)で次のように書いています。「娼婦はナチズムの崩壊によって今の状況に陥った、しかし彼女はその力をどこか他所から手に入れている。死の街、ネクロポリスの中で、この二人だけが唯一生きている者、傷つきうる者である。自分がこの女性から蔑まれたり、彼女の力によって脅かされたりしないことを、ユダヤ人だけが知っている。この女性だけが、ユダヤ人を真に知っており、彼の浴している恩恵がどこから来るのかわかっている。最後に彼女はユダヤ人に殺してくれと頼む、なぜなら彼女はもはや無用と見えるこの力に倦み、悦びを感じないからである。彼は警察を訪ね、なおも彼女から不動産システムの名のもとに身を守る、しかし、異様に頼りなく不確かなものとなったその恩恵にもはや彼は悦びを感じていない。(…)どこに反ユダヤ主義があるのか、どこにそれが潜みうるというのか。」「まったく新たなネオファシズムが広まりつつある。それに比べれば古いファシズムは(例えば映画の中で女装した歌手のように)お伽噺のように思える。戦争のための政策と経済に代わり、ネオファシズムは安全について、<平和>の管理についてのグローバルな理解を形成する、われわれを小さなファシストにするあらゆる小さな不安、小さな悩みから成る内に閉じた組織と、われわれの街角、地域、映画館にあるどんな顔、どんな反抗的な言葉も、すべて萌芽のうちに潰そうという内的使命とをともなったこの<平和>は少なからず恐ろしいものである。」*1

*1:Daniel Schmid ― Dossier Film, Pro Helvetia/Zytglogge Verlag, 1988所収、ドイツ語訳より訳出