工場の門

ファロッキの『工場を立ち去る労働者』(95)は、リュミエールの『工場の出口』に始まり、工場を立ち去る労働者の姿がいかに繰り返し映画史の中で、あるいはまた記録映像として撮られてきたかを示しながら、それは子供がはじめて言えた言葉を100年間繰り返し、その喜びを永遠のものとしようとしているかのようだと結びます。機械労働から労働者が解放される瞬間、労働と私生活の境界として物語が始まる場所であり、同時に労働者と資本家の闘争の場でもある工場の門が、映画にとって特権的な場所としてある意味を考えなくてはならないでしょう。