『人間の声』

ロッセリーニの『人間の声』では、ほとんどフィックスで捉えられるマニャーニの顔=身体は、繰り返し彼女が覗き込む鏡によってその視覚性をさらに強調され、一方、2回目の電話以降受話器から漏れてくる相手の男の声らしき機械音(しばしば聴き取りにくいと言われる相手の声)、また、電話の合間に周囲の状況を提示する物音への聴覚の集中とともに発せられるマニャーニの声は、それ自体として聴かれるべき自律性を備えています。つまり、ここではサイレント映画のような顔=身体の演劇と声・物音による物語がそれぞれ自律したものとして展開され、見ることと聴くことの間の隔たりをあえて観客に意識させるように作られています。