『ブリスフリー・ユアーズ』

アピチャッポン・ウィーラセタクンの『ブリスフリー・ユアーズ』も工場の門をめぐる映画です。ビルマ人ミンは不法滞在で健康診断書がないため、恋人ルーンが勤める工場をくびになって敷地内に入ることができず、門衛所のビルマ人労働者と雑談しながらルーンが出てくるのを待っています。ここで工場の門は仕事を求めてタイに来たミンが越えることのできない境界としてあります。走行する車中から延々と流れる風景を捉える工場の門までの長い道のり、また仮病を使い工場から抜け出したルーンと工場の門を出て密林へ向かう同様のシーンは、国境から国境へとさまようミンの行程をそのまま映し出しているようです。
密林は、工場での労働の対極にある神話的な生命力に充ちた場所、人間が精霊に見つめられる場所です。風景を見ていた人間が、逆に風景から見つめられる視線の逆転がそこにはあるようです。「日々の労働だけでユートピアがなければ、人はその中で窒息してしまう」とストローブは言います(彼にとってユートピアとは、貨幣が廃止された共産主義社会ですが)*1。労働=手仕事を記録する労働としての映画(『カメラを持った男』)は、同時に労働の対極にあるものを指し示そうとするのでしょうか。