ドイツ映画

ルドルフ・トーメアンゲロプロスの『永遠と一日』に激怒して撮ったという『Paradiso』には、ファスビンダーの『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』のイルム・ヘルマンや、60年代トーメの『紅い太陽』で近づく男たちを殺してゆく美人テロリストのコミューンに居候する無気力男マクヴァルト・ボーム(ファスビンダーの『聖なるパンスケに注意』では映画監督の恋人役)らがすっかり老人になって出演しています。老作曲家アダム(ハンス・ツィシュラー)が生涯に関係をもった7人の女性(現在の妻の名はイヴ)たちを7日間湖畔に招いて微妙なバランスの上にユートピア的共同生活を送るという、『舞踏会の手帳』の発想をさらにずうずうしく身勝手に作り変えたユーモアと軽さにおいてジャームッシュの最新作『ブロークンフラワーズ』により近い作品と言えるでしょう。失業者に溢れるベルリン郊外の湖畔に作られたテント村の人々を描いた『クーレ・ヴァンペ』から、『紅い太陽』の美しい湖畔シーン(ラストの愛し合う二人の銃撃戦シーンは素晴らしい)に挟まれて展開する一人の男と三人の女テロリストの奇妙な共同生活、『聖なるパンスケに注意』でスペインの海辺のホテルに宿泊する映画製作集団、そしてやはり湖畔を舞台とした『Paradiso』まで、ドイツ映画史ではコミューンをめぐる作品が多く目につきます。そのどれもが水辺で撮られているのは、とくにトーメの湖への執着は、ムルナウの映画的記憶のせいでしょうか。『クーレ・ヴァンペ』の「世界は誰のものか?」とのブレヒトの問いかけへの応答のように、ルノワールを中心とする製作集団によって撮られたフランス共産党キャンペーン映画『人生は我らのもの』では、前者において資本主義経済システムの悪徳として議論の的になったコーヒー豆廃棄の逸話が、ミルク、小麦、コーヒー豆の廃棄として反復的に語られていましたが、仏版では個々のケースにおいて共産党が果たしうるより現実的な機能に焦点が当てられていた点に、ユートピア的コミューンへの志向を見せるドイツ映画との差異を見ることができるかもしれません。(『人生は我らのもの』では、『クーレ・ヴァンペ』の他に、ジャン・ダステが小学校教師として出演することで『新学期操行ゼロ』への、ヒトラーの演説に犬の声がかぶせられることで『街の灯』への、ファシストの射撃シーンによって『カメラを持った男』へのオマージュが捧げられています。)