ロラン・バルト

ロラン・バルトは写真論『明るい部屋』で、フェリーニの『カサノヴァ』を見た折の経験をこう語っています。

「私は気が滅入っていて、映画は退屈だった。しかしカサノヴァが若い自動人形の女と踊り始めると、突然、不思議な麻薬の効果が現れ始めたかのように、私の目は凶暴で甘美な一種の鋭い眼力を授けられた。私には細部という細部がはっきりと見え、もしこう言ってよければ、私はそれを骨の髄まで味わい尽くして感動で気が動転した。(…)そこで私はどうしても「写真」のことを考えずにはいられなかった。というのも、私の心に触れた何枚かの写真(私が、方法上、「写真」そのものであるとした写真)についても、これとまったく同じことが言えたからである。(…)それらの映像のどれを取っても、まちがいなく私は、そこに写っているものの非現実性を飛び越え、狂ったようにその情景、その映像の中へ入って行って、すでに死んでしまったもの、まさに死なんとしているものを腕に抱き締めたのだ。」*1

*1:『明るい部屋』(花輪光訳、みすず書房、2005)、140-142頁。