キアロスタミ

キアロスタミはかつて、『桜桃』の登場人物について次のように語っていました。
「私は観客とのあらゆる情緒的繋がりを避けるために、男の物語を語りたくありませんでした。私の登場人物は、建物の規模を示す目的で建築見取図に描かれる人間のようなものです。それは観客が感情移入できる作中人物(personages)ではなく、形姿(figures)なのです。(…)演出スタイルも少し演技的です、なぜなら私は誰も登場人物に近づけたくなかったからです。誰も彼らに近づけないために、もしできるなら、映画全体をロングショットで撮りたかったくらいです。」*1
キアロスタミの登場人物は、長廻しのロングで捉えられることによって観客の感情移入の対象となることを免れ、かつ不自然に演劇的な演出によってその「形姿」性を強調されます。彼らは劇の中心として特権化されることなく、風景の中を動く「形姿」として、土埃の舞う道、木々のざわめき、光の戯れなどと同等の資格でフレームに収まり、全体として日常という時間の反復を示します。すなわち、あの舞台の書割のように作り物めいた幾何学的なジグザグ道を登場人物がひとつの点として往復することによって、映画全体が演劇的反復として様式化され、道が人生の、反復運動が日常を生きることの比喩となるアレゴリー劇の様相を呈することになります。ここでキアロスタミが「形姿」と呼ぶものを、ベンヤミンにおける文字=記号と結びつけることもできると思います。

*1:Le gout du cache. Entretien avec Abbas Kiarostami par Serge Toubiana, Cahiers du cinema n 518, novembre 97, p.68.