『言葉とユートピア』

ルイス・ミゲル・シントラ演じる壮年のヴェイラ神父が、布教の武器としての音楽と言葉をダビデの竪琴と投石器に喩えるおそらくこの映画中で最も美しい説教の最中に一瞬イタリア語を間違え、スウェーデン女王の失笑を買うとすかさず、「すべての言語を操る者は、どれひとつ十分に話せない」と弁明した後、ゆっくりとまたイタリア語を一語一語かみしめるように話し始めるシーンのすばらしさは、言葉への愛によって偏狭なナショナリズムを破砕しながら、たえず外へ向かい越境することをやめないオリヴェイラのローマ的普遍主義がそこに凝縮しているからのように思えます。七つの言葉で布教をしてきたというヴェイラ神父の言葉への愛は、なによりも言葉の響きへの愛と言えるでしょう。『永遠の語らい』において多言語で交わされる食卓の会話のように、意味内容によるのではない言語コミュニケーションの可能性をオリヴェイラは信じているようです。