『Vフォー・ヴェンデッタ』

ジェームズ・マクティーグの『Vフォー・ヴェンデッタ』は、テロの脅威を理由に生活の隅々まで監視し、メディアによる情報操作をとおして国民を手なずけようとする現在のアメリカや日本のような国家権力への批判となっています。すでにアメリカは自ら引き起こした第三次世界大戦によって滅亡した後、キリスト教原理主義者たちによる独裁国家となったイギリスを舞台に、オペラ座の怪人を想わせる仮面男Vがひとりこの政権に反乱を起こします。Vはいつの日か真の素性を明かすことのできる日のために戦う素性のない男、仮面の下にある自分は真の自分ではないとして最後まで仮面を被り続ける男です。銃弾を幾発も撃ち込まれながらなお向かってくるVに、「なぜおまえは死なないのか?」と問う敵に、「この仮面の下にあるのは、ただの肉体ではない、正義という理念なのだ」と彼は答えます。恋する女性の朝食に卵トーストを焼くVを反復するように、独裁者をパロディーにする番組を製作して殺される彼女の上司もまた、彼女の朝食に同じ卵トーストを焼いてやります。それは偶然だが、偶然とは幻想にすぎないとVは言います。すなわち、Vとはこの上司であり、ラストにVの仮面を被り国会議事堂へ押し寄せる民衆、つまり、国家の不正と戦うすべての無名の人であり、その人々をとおして物質的力として世界に現れる正義の理念にほかなりません。最後の戦いを前に彼女にダンスを申し込みながら、「ダンスをともなわない革命は無意味だ」とVが言うように、正義の理念はつねに民衆の喜びと結びついています。Vの仮面を被った民衆がおのれの素性を明かすように一斉に仮面を脱ぐと、国会議事堂が花火の打ち上げのように爆破され、抑圧からの解放が祝われます。明治以降の近代化の過程で、日本社会が少しでもこのような理念を西洋から学びえていたら、政治を小泉自民党白紙委任するような今日の事態は起きなかったのではないでしょうか。