『Fフォー・フェイク』

Vフォー・ヴェンデッタ』とのタイトルからもわかるように、この作品はウェルズの『Fフォー・フェイク』へのオマージュとなっています。ヒロイン、エヴィーの父の言葉として語られる「作家は真実を語るために嘘をつく」は、『フェイク』のラストのセリフの引用であり、Vがエヴィーの心を鍛えるために作り出し彼女を収監する偽の監獄と、その中でエヴィーが読む死んだ女囚のメモにもとづく回想シーンというフィクションの入れ子構造は、ウェルズ的なフェイクとしての芸術の<教育的>可能性を示唆しているように見えます。ウェルズの『フェイク』において、たえず新たなスタイルへと変容する画家ピカソの幽霊的分身のように無数の仮面を被り、無数の名前を使い変身を続ける贋作者あるいは役者たちは、一ではなく多としてある者、贋作画家エルミアが自らは一度も署名したことなく、偽の署名によって不滅となったように、シャルトルの大聖堂と同じ「無名の栄光」を与えられながら、「人間は死ぬという真実」に向き合う「裸の、貧しい」<人>にほかなりません。芸術とはこのような無名の<人>、本体を欠いた仮面の交替、生成変化としての複数的主体が歌う歌であり、それによってただの偶然として消え去ろうとする現実に必然性を与えるものと言えるでしょう。