岡本太郎

岡本太郎もまた人間の声に対して鋭敏な耳をもっていました。
「人間の声のたとえようもない微妙な展開は、生活自体と同じように自在であり、乱れたものだ。乱れていながら、ハーモニーがある。それは生存のリズムだ。春夏秋冬という四つの周期があって、整然と運行していても、その中には暑いんだか寒いんだか、えたいの解らない日もあり、台風がとっ拍子もないときに襲ってきたり、また来なかったり。予測できないその微妙なテンポに人間は実生活で対応し、対決しているわけだ。お行儀よく刈り込まれて、右へならえしたような音楽的テンポをアカデミックに信奉するなんて、馬鹿馬鹿しい。」*1
八重山で民謡を聴きながら岡本は、その声が具現する「生存のリズム」を、機械的規則性から逸脱し自在に生成変化する力として捉え、三線の「装飾的」伴奏の「音楽的テンポ」が、「人間の裸の声がほんとうに訴えている切実な響き、色にもならない、形にもならない叫びのすばらしさ、直接性を、チャンチャカ、チャン、チャンとごま化してしまう」*2と苛立ちすら示しています。そして、この声による掛け合い=ポリフォニーとしての労働歌に、岡本は、八重島の欠如としての文化、「何もなく、音声だけが響き、また消えて行く世界のすばらしさ」*3を見ています。
「ありったけの人数を田圃にずらりと並べ、指揮者が真ん中で音頭をとる。それを「イゾウ(気あい)」といって、その音声は厳粛を極めた。明治末年頃までは実際にそうやってしごとしていたそうだ。(…)
「ヒェーッ、ヒェッ、ヒェッ。」
何ともたとえようのない、怪鳥の鳴き声のような、その突拍子もない声に私はびっくりした。はじめ、ひどくゆっくりしたテンポで、働き手の調子を揃え、だんだん急調子に早まって行く。
その指揮者の声に、めいめいが勝手に「ヤッ」「ホ」「ヒェッ」と掛け声をかける。その切迫感。荘重にひびく、不思議なセンセーションを与える音楽だ。
イゾウがはじまれば列から離れることは許されない。少しでも遅れると、指揮者にいやというほどひっぱたかれる。昔は女は越中褌のような黒い下帯をしめていた。それがずり落ちても、前にはさむひまさえない。褌を後にひきずりながら、夢中で進んで行ったということだ。(…)
労働の歌の中に、さまざまの悲しい言い伝え、物語が織りこまれた。八重山では百姓はあんまり辛くって悲しくって、その泣き声が歌になったといわれているが、詩の中の女や男の悲歎に、自分の運命を重ね合わせて泣きながら、彼らは重すぎる仕事に耐えつづけたのだろう。
だがそれはまた生きるハリでもある。ただ悲しいだけだったら、ふたたび歌われまい。絶望的な哀調を繰りかえし繰りかえし、何百千度も歌って、あきないとすれば、ネガティヴな表現をとっていても、それはまた逆に生きることの確かめであり、そのアカシ、生甲斐だったといっていいのではないか。
これらの音がなまなましい響きとして私のうちに共振すると、はじめて、この土地に「物」として抵抗してくる文化がないということ、その当然さが明らかなスジとして納得できたのである。」*4

*1:岡本太郎、『沖縄文化論』、1996、中公文庫、108頁。

*2:同、107頁

*3:同、112頁

*4:同、109-111頁。