寺山修司

母から解放されようとして、かえって母に囚われ、それによって多くの読者を獲得した寺山の作品に魅かれたことはないけれど、もし彼が酒を飲み過ぎずに長生きしていたら、別のあり方も可能だったのではないかという思いはずっともっています。例えば、わらべ唄の「反復形態としての無名性」に着目するところ。寺山によれば*1、わらべ唄は、こけし人形=「子消し人形」を使って「子供を消すことを夢想し、子供そのものを使って、自分の意識のなかに飼っている「子供時代」という藁人形を消すことを夢想する」、「子供という一つの藁人形を媒体として自己を異化する働きを内包している」、「ちょうど演劇が俳優を媒体として身振りを舞台の上に乗せ、それが日常生活のなかで引用可能になってゆくことによって感化力を持ったり、異化効果を生みだしたりするのに似ている、つまり、わらべ唄のなかでは子供を呪具としてつくられている一つの現実社会のモデルとしての「もう一つの世界」が常に複製品として存在している」、「自分は自分自身の複製品であるという思考のかなたに「子供」がいて、その子供と自分との関係は常に倒錯したモデルと本体との関係のように思われるのです」。「その子供というのは勿論、公園の広場で遊んでいる子供ではなく、もっと原型としての「子供」を想定することによって、大人自身の内部にある「子供の時」への回路をさがすことであり、同時に子供そのもののなかにあって、わらべ唄が反復されている状態、その子供のなかの非常にむごたらしい中古背広の大人が隠れている状態を問わなければだめなんですね」、「わらべ唄には原東北も、原風景もなくただノッペラボーの子供だけが対象化されて存在している」、「わらべ唄というのはいつも顔のない子がうたっていた。それは藁人形でしかなかった。だからいくらでも反復可能だった」、「一人二人三目の子/取って拾って糞くらえ/と唄って哄笑した子供が振り向くと顔がない。しかしその子供は団地アパートの四〇二号の奥さんだったり、かくれんぼの時に隠れたままうまいこと正体をくらまして、ポーラ化粧品のセールスマンになった男だったりする」、「僕はわらべ唄はマルクスの<ブルリュメールの十八日>で扱われている歴史上の大事件と同じように、二度あらわれるという意見です。だが、わらべ唄は一度目が悲劇で、二度目が喜劇ということはない。うたわれるたびにいつでも喜劇なのだと思います」。

*1:「顔なしわらべ唄」、『きみ泣くや、母となりても』、1993、立風書房、77-93頁。