モンテイロのパリ日記

1999年8月8日から15日までパリでヴァカンスを過ごしたモンテイロのパリ日記より。*1

8月9日月曜日
 遅起き(10時過ぎ)して早糞。子羊の糞が夜の間にかさを増やし、雄山羊の糞の大きさにまでなるとは予期してなかった。この消化循環の、困難な絞り出される贖罪。ノルマを果たしたと思った後、最後の仕上げに、思いがけなさがより大きくなるように、極小の糞を便器の底に落とした。続いて、裂こうとする努力によって苦渋の状態に置かれた、この尻の洗浄へと向かう。
 私たち自身の尻が私たちに笑いの意欲(そして笑いの意欲は糞する意欲と結ばれている)を与えることから一日を始めるのは、少なくとも幸先がいい。
 何度も何度も貪欲に本屋へ足を運ぶ、舞い飛ぶフランと蔵書家の飽くなき食欲をもって。たとえ百年生きても、すべてを読み尽くすことができないことは、すでに知っている。苛まれる無知の、この、呪われた飢え。
 リスボンで私は、自分の楽しみを守るために、「隣の亭主に手を出すな」という諺で武装していた。
 習慣で私は下を向いて歩く、するといわば一日たりとてパリでは、地面に小銭を見つけない日はない。60年代の吝嗇家たちの記憶だろうか?今日は、金に困ってるわけでもないのに、すでに10サンチーム儲けた。もし困っていたとしても、拾う数は変わらないだろうが。どのコインもそれぞれの仕方できらめいている。
 ポンピドゥー・センターのそばで(ロベール・ドロネーの展示を見に行こうか?)、わずかなエスクード(10万少し、正確には10万と10)をフランに替えた。すべて本の山への私の渇望のため。かたわらの地面で、何かがチリンと艶かしい音をたてた。このメロディーならよく知っている。立ち戻り、八角形の2フラン・コインに眼をやった。光る共和国コインの輝きに屈し、急いでそれを拾い上げた。脈が早まり、興奮が私を素早く掴み、魂が引き裂かれた。恐ろしいモノスタートス、びくついたキャリバン、半分無価値で半分旅行者の人でなし、私を泥棒と呼びながらコインの所有を正当化する者がそこにはいた。おそらく乞食をしても同じ結果になるだろう、いずれわかろう。脈を静め、興奮でぎくしゃくした動きで、アフリカ式呼吸から自由になって、私は上機嫌でその場を離れた。次回はもっと落ち着いてやろう――小銭拾いのやからが私の前でみなくたばるように。この種の事柄において、私はもっと礼儀正しくありたい。
(…)

*1:Diario Parisiense, in JOAO CESAR MONTEIRO, Cinemateca Portuguesa-Museu do Cinema 2005, p.206-220