モンテイロとニーチェ

シネマテカ・ポルトゲーザ出版のモンテイロ本の編纂者の一人ジョアン・ニコラウによれば、『行ったり来たり』のオリジナル・シナリオでは、最初と最後以外のシーンはすべてプリンシペ・レアル広場に設定されており、そこでベンチに坐ったジョアン・ヴヴーが、みずからの声で読まれるニーチェの『ツァラトゥストラ』の抜粋を聴いているというものだったそうです。*1実は前作『白雪姫』*2も初期段階では、「老人」役のモンテイロが一人植物園(プリンシペ・レアル広場の向かい)にいて、彼自身がオフで朗読するロベルト・ヴァルザーのテクストを聴くことになっていたらしい。つまり、ニコラウによれば、『行ったり来たり』にもはや神シリーズのジョアン・ド・デウスが登場しないのは、この作品が、神シリーズよりも、『白雪姫』で徹底的に試みられた「朗誦」に多くを負っているからだろうとのことです。*3ニコラウも引用している『白雪姫』をめぐるディオゴ・ロペスによるインタヴューでモンテイロが、「『白雪姫』は演劇的テクストであり、8シラブルの韻文で構成された劇的詩です。われわれは、演劇が流派、時代などによって変化する一定の規範に従う表象芸術であると容易に認めます。しかし、また、おそらく表象というものが存在しない時代があったということも認めることができます。身振りや態度や立ち方や歩き方を発明するためには、数世紀という時間がかかったかもしれないと認めることができます。初めは、はるか遠い時代に、歌や朗誦と純粋に結びついた或るものがあったのではないでしょうか?」*4と語るとき、彼は確かに、古代ギリシャ悲劇をなによりも「美しい語り」を聴かせるものとして、反アリストテレス的方向から捉えたニーチェにきわめて近いところにいるようです。
「(…)彼らが舞台をできるだけ狭苦しく構成し、奥行きのある背景が与える一切の効果を禁ずるように、彼らが俳優に表情の動きや軽妙な動作を不可能にし、俳優を物々しく、ぎこちない、仮面を被った異形の者に変えてしまうように、彼らは情熱そのものからも深い背景を取り去り、その代わりに情熱に美しい語りの法則を課した、いや彼らは一般に、恐怖と同情を引き起こす情景のもつ自然的な効果に対抗するようなありとあらゆることをやった。彼らはつまり恐怖と同情を欲しなかったのだ――アリストテレスに対して最高に敬意の念は抱いているが!しかし、アリストテレスギリシア悲劇の究極の目的を説いたときには、確かに的に当たらず、まして的の中心には当たらなかったのである!(…)アテナイ人は美しい語りを聞くために劇場に行ったのだ!そしてソフォクレスが狙ったのは、美しい語りであった!――私のこうした異端的見解を寛恕されよ!」*5
ニーチェの次の断片は、「良心の曇らぬ動物」の「南国的フマニテート」をニーチェと同じくするモンテイロの特性をそのまま言い表しているように思います。
「良心の曇らぬ動物――南欧で人気のあるもの――イタリアの歌劇(例えばロッシーニベッリーニのもの)であれ、スペインの悪漢小説(…)であれ――そうしたすべてものの中にある卑俗性を、私は眼にする、しかし、その卑俗性によって、私はなんら不快な感じを抱かない。(…)どういうわけだろう。そこに羞恥心が見られないためだろうか、すべての卑俗さが確固として、自信をもって登場するためだろうか、ちょうど同類の音楽や小説においる高貴なもの、愛らしいもの、情熱的なものと同じように。「動物も、人間に劣ることなく、その権利をもつ。だから動物も自由に駆け回っていいのだ。そして、わが親しき同胞たる人間よ、君も所詮まだこの動物なのだ。なんと言っても!」――これが私には、この問題のモラルであり、南国的な人間性(フマニテート)の特性であると思われる。もし悪い趣味が大いに必要なものであり、確実に満足を与えるものであり、いわば普遍言語であり、無条件に理解できる仮面と所作であるならば、悪い趣味も善い趣味と同様にその権利をもつ、いや善い趣味以上の特権をもつと言える。(…)民衆的なものはいつだって仮面なのだ!だから、すべてのこうした仮面的なものを、これら歌劇の旋律やカデンツァの中に、リズムと跳躍と楽しさの中に跳ね廻らせておけばいいのだ!まったく古代人の生活ときたら!どうしてわれわれにそれを理解することができよう、――もしわれわれが仮面の喜び、すべての仮面的なものの曇らぬ良心を理解しないなら!」*6

*1:JOAO CESAR MONTEIRO, Cinemateca Portuguesa 2005, p.464.

*2:モンテイロによれば、もともとはオリヴェイラが黒一色の映画を作りたがっていたのであり、それゆえ『白雪姫』はオリヴェイラへのオマージュであるという。オリヴェイラ自身もこれをモンテイロの最高作品と呼んでいる。同書、p.456, p.583。

*3:同書、p.464。

*4:同書、p.455。

*5:『華やぐ知慧』、白水社ニーチェ全集第十巻、氷上英廣訳、p.141-142。

*6:同書、p.137-138。