エリセのモンテイロ論

悲劇のサイコロ(ジョアン・セーザル・モンテイロ*1
                              ヴィクトル・エリセ

 ジョアン・セーザル・モンテイロは、同世代の映画作家の小さな家族の一員として、私にとって不可欠の参照対象であったし、今後もそうあり続けるだろう。定まった住処をもたないコスモポリタンな家族、その中でモンテイロは、一見すると他の成員同様、実に奇妙でエキセントリックに見えていた。同時代の映画批評の大部分も彼をそのように捉えた――奇妙でエキセントリック、歴史の周縁を巡り、ポルトガルのような国だけが生み出せる人物を作り上げたと。しかし、今日、これが皮相な印象にすぎなかったことは明らかだ。もし、誰かが彼の映画をすべて見ようと決心するなら、――われわれ上映者側の無知あるいは怠慢のためにスペインの観客にとっては容易ならざる課題であるが――その時には違う何かが見出されるだろう――彼の分身であるジョアン・ド・デウスの道化じみたピカレスクな抜け目なさの向こうで、モンテイロは最も重要な映画作家、とはつまり、自分の映画の中で子供のように、真剣に、遊ぶ者でありえたのである。
 この使命が彼を、ある決定的な瞬間に、カメラの向こう側へ移るように仕向け、彼自身のフィクションの主人公へと変貌させたのであろうと察せられる。こうして彼は、「ポーズを取る役」にどこまでも徹した彼の映画作家としての本性に適うことのみをしながら、ただひとつの必要性によって導かれた――すなわち、生を恒常的な創造行為へと変換することである。あるいは、同じことだが、生と芸術を分けないこと。彼の登場人物たちと混同され、たんなる冷笑家あるいはリベルタンと見なされる危険に身を晒しながら、彼がそれに抵抗するのは、そこに由来している。次のことは強調しておかねばならない。モンテイロのあのよく知られた独特の個人主義は、エゴイズムとは正反対のものだった。彼は、自分をなくし、奇蹟にみずからを開き委ねることを喜びとしていた。彼は遊んでいた、自分自身を対象として遊んでいた、彼の指先のあのいつも変わらぬタバコのように、みずからを消費しながら、遊んでいたのである。
 ジョルジュ・バタイユのように、ジョアン・ド・デウスは『神の結婚』でわれわれにこう語った――「私は遊びの結果である」。みずからの創造物のこの特徴を引き受けて、ジョアン・セーザル・モンテイロは、(ウッディ・アレンのような)プロの役者としてではなく、彼の道化的身体を映画に委ねた。実際、彼のようなケースは、どれとは言わないが、ごくわずかしか存在しない(比較するなら、ナンニ・モレッティの妥協は、ひとつの小さな目安になるだろう)。その理由のひとつは――モンテイロの遊びは、自分を他者の目に晒すという以上に、世界への全面的な自己委譲だったからである。これが、映画の鏡に映る自分自身を凝視し、「私は誰か?」と問いながら、同時に「われわれは誰なのか?」という、まず第一にポルトガルの同胞に向けられた決定的な問い、彼がたえずそうであった政治的*2映画作家固有のこの問いを惹起するための必要条件だったのである(『黄色い家の記憶』のサブタイトルには「ルジタニア風(=ポルトガル風)コメディー」と記されている)。
 彼の悲喜劇では、聖性と冒涜、魂と肉体、神と悪魔がたえず一緒に、不可分のものとして現れ、既成道徳のふるいとなることなく、同一ショットに同居している。それらの間を幻影が駆け巡る――現実のラジカルな転倒と見える自由の幻影が。*3まさにこのために感情教育のレッスンが構築され、そこで作者は観察者であると同時に観察される者、師であると同時に弟子となるのである。もし、彼自身が肯定しているように、愛に捧げられた生が万物の神秘であるなら、ジョアン・ド・デウスは、無条件に、恐れもなく、ふざけた気持ちもなく、路上で出会う娼婦たちの咲き誇る花にみずからを委ねるだろう。彼にとっては、もしある瞬間に女の中になんらかの愛の幻惑が目覚めるならば、相手が最後に彼を裏切ろうが捨てようがどうでもいいのである。心情の豊かさは、無際限の性的衝動であり、一過性ではない恒常的嫉妬心であり、もうひとつの人間的奇蹟を言語とともに構成したあのものであるだろう。このために彼は、互いに切り離すことのできない、混じり合った二つの要素を用いる――言葉と彼の制御不能な愛の執念である。
 モンテイロリベルタンとしての表現は、同時に理性であり心情であり、ロゴスであり感情であり、その根をサドの哲学にもつ弁証法である。彼の目的は、情熱として発散される人間的という限定のついた動物性が、どうやって今度は純粋理性と自由、つまり共通理性となるかをわれわれに見せることである。無目的で無価値な欲望が、われわれを牢獄から救い、棺から引き出し、定められた死から解き放つ唯一のものであることを、彼はわれわれに示そうとする。アイデンティティー喪失への欲望、時間も改悛もない生への要求、権力――この死の管理者――をあらゆるコストの前に屈服させようという要求。モンテイロは、現実を転倒しようとするどんな試みも、金銭の問題と向き合うことなしには始らないということを意識していた。なぜなら金銭は(すべてを見るためには、いくら払わねばならないかね?とジョアン・ド・デウスは問うていた。)、現実の基底に、神としてあるからである。*4
 最後まで芸術家として、モンテイロは国家や道徳によって課せられる限界からたえず逃れようと試みた。激しく分の悪い彼の闘争は二重の戦いであった。なぜなら、彼はさらに自然と戦わねばならなかったから、つまり、――痩せこけて酷使された道化的身体を与えられて――「無情な自然の女神」が彼に肉体的に課した限界を超えての戦いであったから。彼の精神、あるいは同じことだが、彼の動物性は、優美さと情熱の強度をもって、製品の欠点を補わねばならなかった。この「ぺしゃんこのパンのような敗者」は、サイコロの一振りにみずからの生を賭けねばならなかった、もしかしたら起源の偶然性を、自分がこの世に生まれたという偶然性を修正してくれるかもしれないサイコロの一振りに。
 モンテイロはわれわれの時代の呪われた詩人であると、セルジュ・ダネーは書いた。おそらくそれは正しかったろう。疑いえないことは、冒頭で述べた家族のような映画作家たちの中で、彼は最も多く危険を冒し、最も果敢にノーと言うことのできる者だったということである。彼は確かにわれわれの時代の魂の異端者だった。バタイユの次の言葉を彼に当てはめることができよう――「この男は悲劇のサイコロだった。もしそうでなければ、彼は神を宿していただろうに。」

                          マドリード、2005年1月

*1:Um dado tragico, in JOAO CESAR MONTEIRO, Cinemateca Portuguesa 2005, p.554-555

*2:より深い意味での政治であり、政治をする政治家たちがおこなう政治に還元される意味ではない。

*3:この意味でモンテイロは、スペインのどの映画作家よりもルイス・ブニュエルにきわめて近い。ドン・ルイスとジョアン・セーザル・モンテイロの出会いの場に居合わすことができるならと、私はたえず考えた。

*4:「このつまらぬ金属の神的起源を説明しようとすれば、それは宇宙の起源を説明するのと同じくらい、あるいはそれ以上に複雑なことになるだろう。」とジョアン・ド・デウスは、『神の結婚』で精神分析医院の院長に言う。