モンテイロとストローブ

ジョアン=セーザル・モンテイロ「セルフ・インタヴュー」(1969)*1より
「(…)文通をとおして私が愛しており、豊かなドイツにいながら空腹で死にかけているシネアスト――ストローブである。私は彼にいくらか食料を送るつもりだが、もっと生活に困っていない私の仲間たちが、もったいぶらずにそうしてくれるよう希望せずにいられない。(…)
ジャン=マリー・ストローブを見るがいい!私は彼が飢えているから、称賛しているのではない。私が称賛するのは、彼が映画を作っているから、そして、製作中の映画を作るために、ドイツが彼に宣戦布告した戦争に耐えねばならないからである。彼が一方ではヨーロッパで最上のものと見なしているドイツ民衆が、シネアストの日々の糧に復讐しても、彼は動じることなく(いつまで?)みずからの映画で彼らを虐殺し続けている。ものすごいのは、ストローブの道徳的不動さが、バヴァリアの腹の出た野獣の足もとでのロマンチックな自殺とは無縁のものだということである。少なくともこう言うことはできよう、あらゆる和解の可能性を排除した(nicht versöhnt)この戦いに、先の見通しはほとんどない。けれども、ひとつだけ確かなことは――ストローブが、システムによって課せられる経済的障壁を粉砕しながら製作することに成功したどの映画も、いわゆる映画連合軍の勝利である。ドイツがこの戦争に負けるであろうことを信じないとしたら、私は映画による災禍についてなど誰も一度も耳にしたことのない国へ亡命するであろう。(…)」
2003年7月、モンテイロの死後、ストローブ=ユイレはドイツ語でカフカを引用しながらモンテイロにオマージュを捧げています。
「愛する者たち、天使たちよ、おまえたちはどこにいるのか、姿の見えぬままどこにとどまっているのか、私の地上の手では掴むことのできぬまま?セーザル!
  J=M.S(Franz Kafka)    Daniele 」   

*1:AUTO-ENTREVISTA:in JOAO CESAR MONTEIRO, Cinemateca Portuguesa 2005, p.249-255., Pour Joao Cesar Monteiro<>, Ed. Yellow Now, 2004に仏訳及びストローブ=ユイレによるオマージュ自筆原稿。