モンテイロのオリヴェイラ論

『過去と現在』 マヌエル・デ・オリヴェイラポルトガル・ネクロフィルム(1972年3月10日)より抜粋*1
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 『過去と現在』は、ひとつの世界についての省察ではない、――世界自体が鏡に映され客体化されるひとつの世界である。映画の登場人物たちは、自分自身の(それのみの)鏡であり、彼らとともに鏡の使用は、「装飾」品としての通常の機能を失い、鏡像的(especular)次元を導入するが、それはしかしながらそれ独自の鏡像的スペクタクル(espectaculo)しか認めない。「われわれがここに存在することは疑いない」と映画の冒頭で語られる。こことは、どこなのか?疑いもなく、映画の中である。
 現代の映画批評(『カイエ・ドゥ・シネマ』)は、今日の映画が、自然主義的表象から逃れる試みとして、演劇的形式を自家薬籠中の物としたことを実に正しく見て取った。自然主義的表象における現実の再現は、宿命的に映画を、支配的イデオロギーにより有利な表象類型へと導いてしまうからである。この映画における演劇の復権は(それだけではないが)、「自然主義的演出(mise en scène)」行為に基づく映画の衰退(あるいは早すぎる拒否)に呼応している。マヌエラ・デ・オリヴェイラという男が、今日の映画の理論的・実践的探求の多くの発見へと少なくとも、もし枯渇しなければ、向かって行く映画、しかも最良の古典映画のもつ形式の優美さと演出の妙を失うどころかみごとに備えた映画を携え、しかも、なおその上、なにくわぬ顔でサクランボ酒醸造の長年の経験を何光年もの彼方に捨ててくる者のような風情と単純さをもって、突然こうして現れたということは、われわれにとってその重大さと正確な意味が、現時点でこの貧相な筆者に言えることのすべてをはるかに凌駕する出来事であると思え、ここではただいくつかの手がかりを、理論的地平で体系化することなく提出するのみである。
 皆様――私の最上の敵たちを相手にあえて大声で読み上げる気にはなれないテクスト(というのも、冗語法になるが、私の最上の敵たちはものを書くのも拙いし、映画を撮るのはもっと拙いのだから)を流布させる(世間の耳に届かせる)ためには、完全な狂人になるだけで十分ではないだろうか。それほどまで絶対的に天才であることが必要なのだ。『春の劇』においてわれわれの(?)言語が達している音楽性を想起するなら、このテクストが、この場合そうであるように、文学的表現にのみ還元され、造形的、音楽的なものではありえないと主張するとはどういうことなのか?ポルトガル人を聴衆とするわれわれのラジオ放送(放射能放送)は、オリヴェイラの映画の中で語られるポルトガル語は、他の国産映画の中で語られるポルトガル語とは無関係だということに少なくとももはや気がつかないのである。
 分身という概念の上に体系的に構築され組織されて、『過去と現在』はその二重性の戯れのうちに巧みに閉じられている。見ることと見られること、提示することと隠蔽することの間で戯れる『過去と現在』は、優れて「眼差しの祭典」としての映画である。それは、したがって、映画の最も深く最も暴力的な運動、――この上なくエロチックな運動を生産し、統制し、決定する眼差しの質であり延長にほかならない。記憶する限り、そしてその記憶が誤っていなければ、マヌエル・デ・オリヴェイラの映画と同じくらい暴力的にエロチックな映画は全映画史上でただひとつしか見出せない。それは(奇妙なことに)最も過小評価され無理解に曝されているドライヤーの映画――『ゲルトルート』である。
 もしジョルジュ・バタイユが生きていたら、オリヴェイラの映画はきっと彼に無情の喜びを与えることだろう。あるいは、バタイユにとってきわめて重要だった、「死に至るまでの生の是認」という弁証法について、結局、映画はわれわれに語っているのではないだろうか?そして、このタイトル自体(『過去と現在』)が、映画的言説がたえず肯定するエロスの質、適正に制度化されたエロスの合法性を転覆させるばかりか、(…)狂気と死へと接近する扉を果敢にも開くたえざる侵犯であるようなエロスの質について以外、われわれに何を語るだろう?例えば誘惑者役の人物(侵犯者ではない――ブルジョア的不倫の規則が破られるのは、もはや不倫が存在しない時である、こうして結果が原因に依存することのない侵犯が得られる)は、一度もヴァンダという人物に眼差しを向けることなく、一瞬たりとも彼女をエロスの狩の対象と見なすに至らないことに注意してほしい。
 マヌエル・デ・オリヴェイラは、ポルトガル的文脈において、ごく少数のカトリック映画作家に属しており(他にはパウロ・ローシャが、はるかに慎ましいスケールにおいてであるが、この系列の作家である)、彼らにとって映画を撮るという行為は、ある侵犯の意識を含んでいる。映画を撮るとは、眼差しの暴力であり、ロジェ・カイヨワが言うところの聖性のイメージの復元を目的とする現実に対する冒涜である。しかしながら、このイメージは、ただ芸術においてのみ表現される、宗教的、原初的性格と深く結びついた、どこまでも明晰な創造を前提とする芸術において。(私の見解では、ここにこのシネアストが、映画としてよりも、むしろ、遂行された創造行為として見せたがる理由がある)。だが、実はこのような態度は、実利的合理主義によって生み出される利潤価値とはまさに正反対の余剰価値に基づくものであり、それゆえに、聖職義務によるいくつかの挿話的献身にもかかわらず、非常に健全な精神をもって、狂人のようにわれわれの金で楽しむことに固執するこの貴族が、やがて生まれ故郷に帰りこれまで以上に忘れられ無理解に曝されているのは、驚くべきことではない。そもそも問題はただこうである――この国が(説明不可能にも)分不相応にあまりに偉大なシネアストを持ってしまったということ。それゆえ、道は二つに一つである――領土を拡大するか、それともシネアストに制限を加えるか。時流からして領土拡大は困難であるから、シネアストを矮小化し、薄切りにして冷えたままグルケンキアン財団大ホールの観衆に供することを私は提案しよう。
 さらに言うべきは、すべての偉大で革命的な映画がそうであるように、この作品もまた愚者の正体を暴き出し、映画的モダニティーについてのレッスンを、それを理解しようと望み、なしうる者には授ける魔力をもっている。

*1:O PASSADO E O PRESENTE Um necrofilme portugues de Mauel de Oliveira; in JOAO CESAR MONTEIRO, Cinemateca Portuguesa 2005, p.137-141.オリヴェイラ自身によれば、彼が映画監督としてみずからの名前を「マノエル」と表記し始めたのは、1978年の『破滅の恋』からである。この作品以降、「映画についての新しい展望」が開けたと彼は述べている。「マヌエルという表記は、――無声映画時代におけるような――イメージの映画により向かっていた先行する活動と一致している、次いでマノエルという表記の時期には、違う種類の映画、全面的に声を受け入れ、やはり全面的に、あるいはイメージと並んで同等の力で、言葉を使う映画へ向かうことになった。」(映画100年を記念してポルトガルの映画監督たちへのインタヴューをまとめた冊子:100 ANOS DE CINEMA PORTUGUES Os Bons da Fita, Cineclube de Faro/Inatel 1996、p.99。この冊子にモンテイロへのインタヴューはなぜか収められていない。なお、エリセの素晴らしいオリヴェイラ論『映画の不確実性について』(英訳in; Rouge 4, 2004, http://rouge.com.au/4/oliveira.html)は、ここに訳出したモンテイロオリヴェイラ論をさらに発展させたものとして読むことができる。