トーメのモアナ日記より

新作『みえるものと見えないもの』でヘッセン・フィルム=映画賞のOKI奨励賞を受賞したルドルフ・トーメに対するエステル・シュヴァインスの祝辞。(2007年10月17日のモアナ日記)
ヴェンダースは書いている、「『紅い太陽』の中で人々はたえずしゃべりつづける、まるで映画の進行などおかまいないというように」。これがルドルフ・トーメの芸術である。
自分は俳優についてのドキュメンタリー映画を撮っているのだと、かつてルドルフ・トーメは言った。彼の映画はいつも個人的なものだ。人々はあるがままにあり、こうあらねばならないと考えたりはしない。(…)ルドルフ・トーメは、日常について、人間とその生活空間について、広場と通り、衣服と家具について物語る、そうしてついには事物が語り始める。彼はわれわれの日常とわれわれの憧憬の架け橋となる生について物語る。」*1

新作『見えるものと見えないもの』でウィーン国際映画祭に招待されたルドルフ・トーメペーター・ネストラーに会った話。(2007年10月22日夜のモアナ日記)
「ヴィエンナーレで2回目になるが私はペーター・ネストラーに会った。私たちは1964/1965年、ミュンヘンで同じ時に短編映画を撮った。彼はドキュメンタリー映画を私は短編劇映画を。当時、私たちを結びつけたのはジャン=マリー・ストローブ(そしてたぶんダニエル・ユイレも、彼女の働きを私たち二人ともたぶんまだわかっていなかった)だった。私たちはみんな1965年にオーバーハウゼンマニフェストを出し、そのマニフェストをもとに深夜から自分たちの映画を上映することを許された。当時のドイツの映画批評家たちはビールを片手にそれらの作品を馬鹿にしていたものだ。その後、私がそのドキュメンタリー映画を愛し感嘆していたペーター・ネストラーは消えてしまった、なぜなら彼はハンガリーのブタペストで一人の女性と知り合い、彼女のもとにとどまり、今日に至ったからだ。今晩、はじめて私は彼女―ペーター・ネストラーの奥さん―に会ったというわけだ!!!私の人生(目下とてつもなくせわしないが)にとってもこれが何を意味しているか、彼女は感じてくれたと思う(そう願う)。*2