カネッティ『マラケシュの声』

「言語は何を覆っているのだろう?言語はわれわれから何を奪い去るのだろう?(…)私は音自身の欲するままに、音そのものによって掴まれたかった」と、マラケシュを旅したエリアス・カネッティは記しています。「アッラー!」という叫びを繰り返す盲目の乞食たち。彼らをカネッティは、「反復の聖人」と呼んでいます。「叫びは彼の境界でもある。この一か所において、彼は自分の叫ぶ文句そのものにほかならず、それ以上でもそれ以下でもなく、乞食であり、盲である。しかし、叫びは増殖でもあり、素早い規則的な繰り返しは、叫びから群れをつくりだす。叫びには要求というもののもつある特別のエネルギーがこもり、彼は多くの人のために要求し、すべての人のために懐に入れる。」
「私がこの広場に探し求めたのは、ひとつの声とすら言えぬ、ただひとつの音からなる、地面の上の枯草色の小さな包みであった。低く長く引っ張った「エーエーエーエーエーエーエーエー」という唸りであった。(…)ただひとつの音に還元されてしまったこの声に対してだけ、私は不安のようなものを感じた。この声は生き物の名に値するぎりぎりの線でかろうじて生きていた。この声を生み出している生命は、この声以外のいかなるものからも成り立っていなかった。(…)この生き物――生き物にはちがいなかった――は、地面にうずくまり、布きれのなかに背中を曲げたままであった。生き物らしい気配はほとんどなく、見るからに軽く弱そうであったが、察しがつくのはこれだけであった。それの背丈がどのくらいあるかわからなかった。それが立っているところを一度も見かけなかったからである。それは地面にあまりに低くへばりついていたので、もし例の音が止むようなことになれば、うっかりしてそれに躓く者が出てくるだろう。(…)それの叫び声の意味は、私にとって、それの存在同様、依然として謎であった。とはいえ、それは生きていたし、毎日みずから時を選んでそこにいたのである。それが人の投げ与える硬貨を拾い上げるのを、私は一度も見なかった。硬貨を投げ与える者はほとんどいなかったし、それの前にはいつも硬貨が二枚か三枚ころがっているだけであった。ひょっとすると、それには、硬貨を掴もうにも肝心の両腕がなかったのかもしれない。神の名はそれにとって、縮められて「エーエーエーエーエー」という音になったのである。しかし、それは生きていた。それは比類なく倦まず弛まずおのれの唯一の音を出し、何時間も出し続けた。ついにそれが、この大きな広場全体にあって唯一の音、他のあらゆる音のあとに生き残る音と化してしまうまで。」*1

*1:エリアス・カネッティマラケシュの声』、岩田行一訳、法政大学出版、1973